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オーディオドラマ「五の線3」

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by 闇と鮒

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五の線2の続編です

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October 4, 2025

210 最終話「五の線」

<a href="https://gonosen3.up.seesaa.net/image/3-200.mp3">3-200.mp3</a> 古田が亡くなって、まもなくひと月が経とうとしていた。 午後の陽が差し込む駅近く。 木造二階建てのアパートの前に、森はひとり立っていた。 引き渡しは今日。 部屋の中に残っていた遺品は、すでに古田の娘がすべて引き取っていった。 小さな郵便受けの名札には、まだ「フルタ」の名前が貼られたままだった。 ドアの前で、森は立ち止まり、そっと呟いた。 「……トシさん」 その声は風にさらわれ、誰の耳にも届くことはなかった。 「……私、怖いわ……」 目を伏せ、森は続ける。 「あんなに濃くて、強くて……絶対に消えないって思ってた存在だったのに。今じゃ、朝の通勤途中にふと思い出すことも減ってきてる。」 自分の脳が、意図せず彼を遠ざけようとしているような気がしてならなかった。 「……思い出さなければ、まるで最初からいなかったみたいになる。人って、そんなふうに……できてるのかしら。」 彼が日常にいたはずの痕跡――玄関マット、洗濯物の匂い、部屋の明かり―― それらすべてが、あまりにも簡単に消えていった。 「……こんなにも、いい加減にできてるんだな。人間の記憶ってのはよ。」 ふと顔を上げると、空は、雲一つない青だった。 森は小さく息を吸い込んだ。 アパートの前でしばらく立ち尽くしていた森は、やがて振り返った。 ゆっくりと階段を降り、アパートを背に歩き出す。 道端に一台の車が停まっていた。しばらくして、その車のエンジンが静かにかかる。 助手席のドアを開けて乗り込むと、運転席には山県久美子がいた。 「……なにか、話しかけてたみたいでしたけど。」 ハンドルを握ったまま、久美子がちらりと横目で言った。 森は目を伏せたまま、小さく首を振る。 「……ううん、なんでもない。独り言よ」 少しだけ沈黙が流れた。 「……あんたは、いいの?」 そう問いかける森に、久美子は一度、顔を正面に向けたまま黙っていた。 そして、ほんのわずかに首を横に振る。 「……まだ、わかんない。たぶん……よくないと思う。でも……」 言葉を途中で切り、久美子はウィンカーを出した。 車はゆっくりと、街のほうへと走り出す。 「それでも、生きていかなきゃ……。」 久美子のその言葉に、森は何も返さなかった。 助手席の窓から流れる風景を見ながら、ただ黙って頷いた。 車内にはしばらく、アイドリングの音だけが流れていた。 久美子はためらうようにダッシュボードのスイッチをひとつ押す。 カチ、と軽い音を立てて、ラジオがつく。 少しこもった音質の中から、ニュースキャスターの落ち着いた声が流れてきた。 「――ツヴァイスタン人民共和国に拉致されていた千名以上の被害者たち。その帰還事業が、本格化しています」 森はゆっくりと顔を上げ、助手席の窓の外を見つめたまま、耳だけを傾ける。 「連日、空港では出迎えに涙する家族の姿が見られ、再会を果たした被害者たちの表情がカメラに映し出されています」 久美子はハンドルに手を置いたまま、前を向いていた。 窓の外では、風に揺れる幟(のぼり)がぼんやりと揺れていた。 「帰国者の多くは、日本への帰国を望んでいる一方で、長年の異国での生活による心身の変調や、日本社会への再適応の困難といった問題も指摘されています。 それでも、世論はおおむね“帰還”を歓迎する姿勢を示しており――」 森は、胸の内で何かが押し寄せるのを感じた。 「――“やっと何かが終わった”“やっと何かが始まる”……。 そんな声が、いま日本各地で聞かれています」 ラジオを聞いていた男の前でコーヒーの湯気が揺れる。 テーブルを挟んで、朽木と向かい合って黒田が座っていた。 「……仁川征爾も、ツヴァイスタンに拉致されていたと判明しました。」 黒田は、朽木の問いを待たず、静かにそう言った。 「ほうか……ほんなら、征爾も戻ってくるんか?」 朽木の問いに、黒田は少しだけ間を置いた。 「……関係筋によると、仁川は向こうで“事故”に遭ったそうです。」 淡々とした口調だったが、その目には、わずかに迷いがあった。 「……遺体は、確認されていません。」 朽木が怪訝そうに目を細める。 黒田はコーヒーに視線を落とした。 「――じゃあ、あのニッカⅢは?」 朽木がぽつりと訊く。 黒田は、薄く笑った。 「まだ警察が預かってるそうです。なので俺が責任を持って……彼の“墓”に供えます。」 「墓言うて、あのツヴァイスタンに征爾の墓があるんか。」  「……ええ、まあ、“見つかる”かは分かりませんが。」 “見つかる”という言葉に、少しだけ力が込められた気がした。 ーーー 松永は黙って写真を裏返した。 そこには何の書き込みも、日付もなかった。 「……これが最後の“証拠”か。」 誰にともなく呟いたあと、松永は視線を持ち上げた。 「百目鬼、このフィルムの管理は?」 「こちらで保管。報告書には“個人遺留品”として記録します。」 「関。」 「……内調としても、ここは沈めるべきかと判断しています。」 松永は短く頷き、写真をもう一度手に取った。 「――しかし、奇妙だな。こんな顔、百目鬼、お前見たことあったか?」 それは、富樫の笑顔だった。 裏階段で、ピースをしながら、心から笑っている顔。 関も、百目鬼も黙っていた。 誰も、何も言わなかった。 「……椎名の遺体は、まだか?」 「はい。上がっていません。」 「そのことは――」 「もちろん、報告書からは削除済みです。彼の名前も、すでに……」 「忘れろ、か。」 松永は写真を机に戻した。 「だがこれは、どうするんですか。笑ってるんです。笑ってるんですよ、あの富樫が。」 わずかに感情が滲んだ百目鬼の声だった。 三人の間に沈黙が落ちる。 関が静かに言った。 「記録は消せても、写真は消せないよ。」 百目鬼は答えなかった。 ーーー 県警・公安特課の執務室。 書類の束に囲まれた片隅に、一人の男が立っていた。 「……片倉さん。」 声をかけたのはこの公安特課課長の岡田だった。 岡田は彼のことを“班長”とは呼ばなかった。 警視庁からこの部署に復帰した片倉に、役職はない。 ただの一捜査官として、机も持たず、端末すら与えられぬまま、その場にいる。 「……やっぱり、上がっていません。」 岡田の声には、ほんのわずかな戸惑いがあった。 片倉は、小さく息を吐いた。 「ほうか……」 それだけを呟いて、目を伏せた。 仁川征爾の遺体は、いまだに発見されていなかった。 金沢駅での銃撃、爆発、混乱。 数多の証言が彼の死を語っていたにもかかわらず―― ――彼自身だけが、どこにも存在していなかった。 沈黙が、公安特課の一角を満たしていた。 岡田は、その沈黙を破ろうとはしなかった。 ーー 石川県庁、19階の展望階―― 夕刻の風がガラス越しに吹き込み、静かな音を立てている。 誰にも知られず、片倉はこの場所に何度も足を運んでいる。 遠くに見える金沢駅の方角には、まだ一部がブルーシートで覆われたままのビルがあった。 背後で、足音がした。 「……お父さん。」 振り返らずとも、それが京子の声であることはすぐに分かった。 彼女は手に、封筒を持っていた。 「書いてきた。ちゃんと、記事にするって言ったでしょ。」 封筒の中には、数枚の原稿用紙。 「五の線」とだけタイトルが記されていた。 彼は、ほんのわずかだけ眉を動かし、問いかけるように呟いた。 「……五の線、か。」 京子は少し視線を外し、ガラスの向こうの夕焼けに目をやった。 「熨子山連続殺人事件。佐竹、村上、赤松、一色、鍋島。 あの五人を結ぶ“線”が、この物語の原点でした。」 片倉は黙って頷いた。 「でも――書いていくうちに、別の意味が見えてきた。人と人との響き合いとか、沈黙が交差するとか……まるで五線譜みたいに、誰かの行動が、誰かの選択と重なって、一つの旋律になっていく。」 「旋律……。確かに、一人だけじゃ成立しない音もある。」 「うん。これはきっと、最後の音。だから、書いて残すしかない。誰かに伝えるために。」 片倉はゆっくりと視線を彼女から外し、窓の外に目をやった。 そこには、夜の気配を帯び始めた金沢の街が広がっている。 「……忘れられる前に、か。」 「そう。」 そう言って、京子は再び原稿を手に取った。 その筆跡は、揺れていたが、力強かった。 そして、彼女の言葉は続いた。 「仁川征爾が消されたことも。 富樫さんの笑顔が、もう見られないことも。 古田さんが、もうここにはいないってことも。」 京子はそこで言葉を止めた。 少しだけ視線を落とし、唇がわずかに震える。 「……それに、周が……」 声が喉の奥で詰まった。 一瞬、彼女は父のほうを見たが、すぐに視線を外した。 「……全部、忘れられないように……書いておきたかった……。」 片倉は静かに頷いた。 その頷きには、かつての捜査官としての顔も、父としての顔も――確かに、あった。 沈黙が落ちる。 だが、それは決して重苦しいものではなかった。 やがて、京子は小さく息を吐き、笑った。 「……おかしなタイトルだけどね。」 「いや。悪くない。」 片倉の短い返答は、何よりも肯定の色を帯びていた。 「載るのか?」 「うん。“チャンネル・フリーダム”の特集で。会員限定になるけど、公開はする。」 片倉はそれを受け取らなかった。 京子も差し出すのをやめ、そっと胸にしまった。 「誰も読まないかもしれない。読んだって信じないかもしれない。それでも、書くしかないと思った。」 片倉は静かに頷いた。 「……仁川の名前は?」 「出さない。でも、わかる人にはわかる。」 「……そうか。」 沈黙。 しばらく、二人は並んで空を見ていた。 西日が傾き、庁舎の影が長く伸びていく。 「……あの戦場で、どれだけの人間が命を落としたか……」 ぽつりと片倉が言った。 それは、誰という名指しではなく、敵も味方も区別のない言葉だった。 「国がどう記録しようが、どう忘れようが、んなもんどうでもいい。でも――俺たちだけは、忘れたらいかん。」 京子は、わずかに頷いた。 「行くわ。まだ編集、残ってるから。」 「うん。」 京子は踵を返した。 その背中に、片倉は声をかけなかった。 彼の視線は、いまだ遠くの空にあった。 <a></a>

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October 4, 2025

210.1 ご挨拶

<a href="https://gonosen3.up.seesaa.net/image/3-200-1.mp3">3-200-1.mp3</a><a></a>

Episode thumbnail for 210 第199話「沈黙を編む手」

October 3, 2025

210 第199話「沈黙を編む手」

<a href="https://gonosen3.up.seesaa.net/image/3-199.mp3">3-199.mp3</a> 音楽堂の裏手――濁流がかすめた低地に、まだ泥の匂いが残っていた。 京子は、崩れた階段の縁に腰を下ろしていた。 脚には乾きかけた泥がつき、掌には黒いスマートフォンが握られている。画面は割れていたが、電源は入る。その端末は、相馬の遺品だった。 押収されていたその携帯が、自分のもとに戻ってきたのは、ほんの数十分前のことだ。 ーーー 背後に気配を感じた。 振り返らなくても、足音で誰かは分かった。 「……冷えるな。」 父の片倉肇だった。 二人の間に言葉はなかった。 しばらくして、京子がぽつりと口を開いた。 「……警察官だったんでしょ。周。」 片倉の目がわずかに動いたが、肯定も否定もなかった。 「バイトなんて、嘘だって……最初から分かってた。あの人は携帯を机に置かないし、時間にはやけに神経質だったし。」 「……。」 「お父さんと同じでさ。たぶん、公安とか、そういう類の仕事なんだろうなって。なんとなく、わかってたんだ。……でも、訊けなかった。訊いたところで、答えないだろうしね。」 その言葉に、片倉の頬がひくりと動いた。 京子は苦笑を浮かべた。 「だけど、まさか……。本当に死んじゃうなんて…。」 彼女の手はかすかに震えていた。 「なにもかも伏せたまま……。そんなのって、ある?」 片倉はゆっくりと、上着の内ポケットからビニールに入ったスマートフォンを取り出した。 それを静かに、娘の膝の上に置く。 「これはお前が持っとれ。」 京子は言葉もなくそれを受け取った。 「相馬の携帯には重要な情報がはいっとるはず。ほやけど全部流された。もう見つからんやろ。」 京子の肩がひとつ震えた。 「お父さん……。」 手のひらを見せて片倉は彼女の言葉を遮った。感情を削ぎ落としたその手は、どこか震えていた。 京子は唇をかみしめながら、スマートフォンの画面を撫でた。 泥で濁っていた瞳が、わずかに潤んだまま、遠くの空を見つめる。 「お父さん。あの人が命を賭けたこと……私、全部は知らない。でも、これから調べる。書くよ。彼のこと。彼が見たもの、全部。」 「……記者としてか?」 京子はうなずいた。 片倉はそれ以上何も言わなかった。 ただ静かに目を伏せ、風の音に身を預ける。 彼の頬を伝った一筋の水は、泥の筋ではなかった。 ーーー 階段の陰―― 黒田は、京子と片倉親子の背中を遠くから見守っていた。 あのとき、黒田は声を上げられなかった。 相馬が仁川に撃たれる刹那の悲痛を、ただ記憶に焼きつけることしかできなかった。 今、その恋人とその父が向かい合っている。 言葉のない喪失。 誤魔化しのきかない現実。 黒田は自問した。 「俺はあの時、何を見たんだ……。」 京子は、もう知っているのだろうか。相馬を撃ったのが、あの仁川征爾だと。 もし知らないのだとすれば―― その「記録」は、彼女が辿り着くべき物語なのかもしれない。 自分はただの見届け人でいい。 それが彼の、記者としてのけじめだった。 彼は京子らに背を向け、 空を見上げた。 ーーー テレビの画面には、茶色く濁った水の中を歩く自衛隊員たちが映し出されていた。 「第14普通科連隊の活躍が市民を救った」 テロップがそう踊り、画面はカットを切り替える。 女性自衛官が泥まみれの子どもを抱きかかえ、避難所に駆け込む。 その背中に、カメラのズームが寄る。 「被災地に寄り添う自衛隊」――局アナの声がかぶさる。 テレビもネットも、そればかりだった。 陸自提供の映像は、編集された英雄譚となって各局に流れた。 音楽堂での戦闘、鼓門前の銃撃、瓦礫の山の裏側――そこにいた特殊作戦群の姿は、どこにもない。 彼らの存在は、放送では“空白”として処理された。 公安特課についても「警察関係者の協力のもと」との一文だけが読み上げられる。 相馬の名も、椎名の名も、当然ながら一度も出てこない。 「今回の事態に対して、政府は迅速に対応しました。」 官房長官・櫻井は記者会見でそう言い切った。 「民間人への被害を最小限に抑えることができた。作戦は成功裏に終わったと評価しています。」 用意された原稿を読み上げるような口調だったが、記者席から反論の声は上がらなかった。 その後、ホワイトハウスからも声明が出された。 「日本の統治機構の成熟と連携に最大の敬意を表する」 We express our utmost respect for the maturity and coordination of Japan’s governance system. 米国報道官による読み上げだったが、テロップには“大統領の発言”と表示された。 首相会見の原稿、テレビ局の報道順、SNSのトレンド整理―― そのすべての裏で、ひとりの男が静かに動いていた。 内閣情報官、上杉靖は会見場には姿を見せず、報道には一切登場しない。 だが、首相が発した言葉の一字一句、テレビ局のテロップの色味、番組構成の順番に至るまで――すべては、彼が数時間前に差し替えた“最新版のファイル”に準じていた。 総理の演説台に置かれた原稿。 メインキャスターが読む一行目。 報道番組が流すVTRの開始時間とその長さ。 そのすべてが、上杉の掌にあった。 ネットでは、SNSの火消し部隊がすでに動いていた。 #自衛隊ありがとう、#外交勝利、#米国と共に―― それらのタグをトレンド上位に押し上げたアカウントのいくつかは、某省広報部の職員が個人名義で運用していたものだった。 「特殊作戦群」の名は、いかなる資料にも記されなかった。 映像資料も消された。 上杉の指先は、次の「演出プラン」へと滑っていた。 いまこの国に必要なのは、真実ではない。 「国民が安心する筋書き」だった。 ーーー 同じ頃―― 政府専用機が羽田を離陸し、ツヴァイスタン人民共和国に向かっていた。 搭乗していたのは仲野特命担当大臣。同行には、内閣情報調査室の関、公安特課の松永。目的は、事態収束後の外交的整理と、拉致被害者の帰還交渉だった。 ツヴァイスタンは核保有国である。 もしプリマコフ中佐の特別軍事作戦が成功していれば、軍政派がその勢いで核の恫喝に踏み切る可能性すらあった。 それを事前に察知していた文民派の外交官エレナ・ペトロワと情報将校イワン・スミルノフは、作戦前から中国に根回しを進めていた。 「作戦が決行された場合、中国は黙認すべきではない」 かつての宗主国ロシアではなく、現在のパワーバランスの中で睨みを効かせるべき相手は中国だと彼らは見ていた。 結果、作戦は日本の地で失敗し、プリマコフは戦死。 軍政派は失策の責任を問われ、中国の圧力の下、核使用の選択肢を失った。 求心力を喪失した彼らに代わり、文民派が主導する「国民和解臨時政府」が発足の動きを見せていた。 仲野一行は、この臨時政府の首班アレクセイ・コズロフと極秘会談を行う。 記者団の同行はなく、会談の詳細は公にはされなかった。 ただ一つ、外務省が公開した一文のみが、ニュース原稿に載った。 「ツヴァイスタン国民和解派は、プリマコフによる軍事暴走を正式に断罪。拉致被害者全員の即時帰還を日本政府に約束した」 この一文が、事件の幕を引いた。 誰もがその言葉を信じたわけではない。 しかし、それを疑う余裕を、誰も持っていなかった。 ーーー 永田町――首相官邸。 地下の執務エリアには、夜遅くにも関わらず数人の関係者が残っていた。 会見を終えたばかりの櫻井官房長官は、背筋を正したまま、給湯室で一杯の白湯を口に含んでいた。 手にしたマグカップには、「為せば成る」の文字。 広報室の若手官僚たちが、小声で話している。 「ネットの空気、完全に変わったな」 「外務省、ようやく点取った感じだな」 「てか、官房長官の読み……全部当たってるんだよな……」 誰かが、つぶやく。 「――櫻井は、次の総理だな」 部屋の空気が、ほんの一瞬だけ静まった。 その沈黙の中で、誰も否定しなかった。 誰もが同じ予感を抱いていた。 櫻井は、マグカップをそっと置いた。 何も言わず、会釈だけを残してその場を離れた。 誰かの指示ではない。 ただ、そうなる流れが、もう動き始めている。 官邸は、それを知っていた。 ーーー 次回、最終話。 <a></a>

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