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About Zengyou.Net
くつろぎ、見上げ、深まる。心ほどける善巧寺。
- Publisher
- 白雪山善巧寺
- Category
- religion & spirituality · society & culture · society & culture
- Language
- ja
- Explicit
- No
- First episode
- 13 Jul 2020
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- 8 Dec 2020
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8 Dec 2020
みんな逆さま 逆転めがね
京都でお坊さんの研修会がありまして、そのとき心理学の先生が、おもしろいものを持ってこられましてね、「逆転めがね」というんです。これをかけると、とにかく上と下が逆さまに見えるというんです。「かけてみませんか?」おもしろそうなので、ハイハイと手をあげて、かけさせてもらったんです。「わあーッ!」いやあもうたいへんであります。とにかくなにもかもが逆さまで、床と天井がひっくり返っている。歩こうにも一歩も動けない状態です。「はい、この鉛筆をどうぞ」どうぞといわれても、その鉛筆がつかめない。何度か空振りを繰り返して、やっと手にすると、「さあ、あなたのお名前を・・・」もうどうにもなりません。一生懸命頭を働かせて、自分の名前を書こうとするんですけど、どうにもならない。しばらくかけていると頭が痛くなって、やっとその逆転めがねをはずさせてもらったんですが、字を見ると、これはもう赤ちゃんよりひどい、裏返しになったり、上下ころんだり、ナンノコッチャさっぱりわからんものでした。で、先生のお話を聞いてみると、このめがね、一週間もかけていると、ちゃんと慣れてきて、歩いたり、食事をしたり、字を書いたりも出来るようになるとのこと。いや、もうけっこうです、と逃げたんですが、じつは、わたしたち、生まれたときは、どうやら、この逆転めがねでものを見るのと同じように見えていたんだそうです。それを、まわりのものがいろいろ教えて、逆さまが、まともに見えるようになってきたんだというんです。つまり、人は、育てる側によって育つわけで、見ることも、聞くことも、動くこともみなすべて、育てる側によるのだとおっしゃる。そういえば、あのインドの狼少女、アマラとカマラだって、生まれたときから狼に育てられたので、二本足で歩けないし、昼より夜のほうが目が見えたし、人間の言葉などまるでわからなかったわけです。いやなにも遠いインドの話だけではないわけで、ほら、あなたがしゃべっているその言葉、富山弁でしょ。「ちゃあ、ちゃあ」っていうでしょ。それだって自分で考えだした方言じゃないでしょ。まわりが「そいがやっちゃ、そうやっちゃあ」といっていたからそうなったわけ。笑い顔だって、くしゃみの仕方だって、ハナのすすり方だって、ちゃんと育てる側に似てくるんですよね。まあ、そう考えてみると、二本の足で歩けるのも、日本の言葉がしゃべれるのも、なにもかも、お育てあればこそ・・・と喜ばねばならんわけですが、これがなかなか喜べない。そんなこと当たり前としか思っていない。恩知らずの畜生ですなあ。しかし、まあ、いまいった逆転めがねねえ。私らはもうちゃんと左右上下きちんとまともに見えていると思っているけど、仏さまがごらんになると、これがまた、逆さまだとおっしゃってる。おのれの欲望だけを考えて、他人のことは考えない逆さま。おのれの人生を見つめずして、今日一日のことに明け暮れる逆さま。おかげさまよりおカネさまという逆さま。足ることを知らず、もうちょっともうちょっととむさぼる逆さま・・・。いっぺん仏さまのめがねをかけて自分を見直さんといけませんなあ。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6395&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%80%80%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%AD) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6395&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%80%80%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%AD) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6395&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%80%80%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%AD)

30 Nov 2020
精一杯生きるのを認め合って
「それはそうと、若ハンも出てきたねー」またこれだ。近頃、よくいわれるんです。「動かんと、食べてばっかりいるからでしょ」とか、ああしたらいい、こうしたらいいと、おなかをへこます方法を、いろいろ教えて下さる。くやしいねー。さっきから、お話をしている間中、フムフムとうなずいて聞いて下さっている様子だったけど、目だけは、私のおなかのあたりにチラチラと飛んで、結局、人生の意味をいかに発見してゆくか、などという話の方はどこへやら、ずうっと、この人、いかにすれば減量なるか、ということを考えていらっしゃったみたい。「そんなこといっても、若ハンの身体のこと思うていってるんだから、文句いわずに聞かっしゃいよ」ハイハイ、というわけで、話の中休みは、もっぱら、運動不足と、健康管理についてのご高説をうかがうことになってしまう。で、結局、おばちゃん、おばあちゃんたちの結論は、「欲しがりません勝つまでは」という時代から「欲しがりましょう、あくまでも」という時代になってしまったことへの反省が足りないんだよ、近頃の若いもんは・・・といおうことになってしまう。そういえば、昨年までは、家庭内暴力や校内暴力の時代を反映して、小1の教科書も「なかよしの木」だったけど、今年から変わっているんですよね。うちの学校でみせてもらったら、なんと「はしれ はしれ」になってる。砂場でみんなが遊んでいる絵があって、はしれ はしれ はやい はやいとなってる。いやあ、やっぱり時代ですなあ。日本全国運動不足、欲しがりましょう、あくまでも、で、私のおなかのようにボディじゃなくて、ボテーとしてきた。で、トリムだ、エアロだ、ジョギングだ、アスレチックだ、ノンカロリーだ、とにかくおやかましい時代になった。そこで、出るべくして出たのが、この教科書。健康はみんなの願い、というわけなんでしょうね。「そう、走れ、走れ。若ハンもなわとびのひとつぐらいやらんにゃ!」と、こっちまでハッパをかけられちゃった。でも、この、はやい、はやいは、どうなんでしょうね。遅いものもいる。健康、健康というけれども、不健康な人もいる。その不健康な人にも人生はある。健康は財産だ、健康第一だ、というけれども、その声を聞くだけで胸が痛む人たちがたくさんいる・・・。そのこと私たち忘れているんじゃないかしら。いつだったか、国際児童年の年、ゴダイゴの歌がはやって、その歌にのせて、NHKが子供へ一言いう、CM風のものを流してましたけど、その中で、「ケンカをして、勝ったキミは強い子だ。けど、負けた友だちのことを、少し考えてみる・・・それができたら、キミは強い子ではなくて、いい子になれる」と、いう意味のがあった。走っても、走れなくても、早くても、遅くても、お花をかざっても、かざらなくても、きれいなことばを使っても、使わなくても、なかよしになれても、なれなくても、おなかが出ていても、出てなくっても、みんな精一杯、そう、精一杯生きているんだってこと、認め合わなくっちゃね。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6374&linkname=%E7%B2%BE%E4%B8%80%E6%9D%AF%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E8%AA%8D%E3%82%81%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%A6) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6374&linkname=%E7%B2%BE%E4%B8%80%E6%9D%AF%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E8%AA%8D%E3%82%81%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%A6) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6374&linkname=%E7%B2%BE%E4%B8%80%E6%9D%AF%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E8%AA%8D%E3%82%81%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%A6)

23 Nov 2020
「夢の風船」ふくらませたい
学校というのは、英語でスクールと申しまして・・・「コレ、若ハン、それくらいのこと、わたしらでも知ってますよ」と、明治生まれのかしこいおばあちゃん。ゴメン、知らんかと思うとった。いや、話はこれからなんで、そのスクールという英語の語源は、いったいどういうものかと調べたら、これがなんと!ラテン語で、スコーラというそうな。「なんじゃ、そりゃ」なんじゃて、わたしもわからんから字引でみたら、「余暇」と書いてある。もとの意味からいうとM、スクールはレジャーじゃということになる。「軟弱軟弱!それじゃから、近頃の若いもんは遊び半分で学校行っとる。わたしらのころと大違い!教科書だって、字より絵のほうが多いし、どうも肌に合いませんワ」と、おばあちゃん、気に食わない。しかし、おもしろいね。学校ちゅうところは昔はヒマなときしか行けなんだ。そこで余暇に通う所ということで、スコーラというた。いやホントに、スコーラよもう一度、といいたいですなあ。さて、しつこく、小学校1年の教科書を読みあさっておりますが、きょうご紹介するのは、わたしが一番好きな教科書でありましてじつは、ムスコの一年の時のものなんです。題は「なかよしの き」というの。開いてみたら・・・大きな木の絵が描いてある。ウサギや、ハトや、リスがいて、こどもたちも木にのぼって遊んでます。風船をふくらませて、枝に結んでいるみたいですな。「あれ、あぶないことを・・・」おばあちゃん、本日はかなり批判的。さあ、次のページをみくってみると・・・「ありゃ、まだ、字が出てこん」字より絵をみてちょうだい。ほら、おばあちゃん、どうなってる?「こりゃさっきの木が、飛び上がっとりますぜ、風船で浮いたんやろか。まさか、こんなこと、あるわけないでしょうが」で、やっと6、7ページになりますと、なかよしの木は、大空に舞い上がり、字が出ました。たかい たかい みえる みえるあおい そら くもの うえ次のページになると、さらになかよしの木は空高く宇宙に向かって、わたれ わたれ そらのはしおほしさま きらきらおつきさま にこにこで、最後は、またもとの場所にもどってきて、なんと、さっきまでの風船がパッとまっ白な花にかわって、さいた さいた きれいな はなこれ読んでたら、わたし、涙出てくるの。おばあちゃん、わかる?この風船はねえ、わたしら一人一人の夢の風船なの。それをふくらませていたら、夢は宇宙をかけめぐるわけよ。みんな、なかよくして、他人の風船をこわさんように気をつけたら、世の中もうちょっと明るくなるんじゃないかなあ、という願いがこもってるみたい。他人の夢の風船をチクリとやって喜んでいるわたしたち、もういっぺん、この教科書、読みなおさんといかんなあ。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6359&linkname=%E3%80%8C%E5%A4%A2%E3%81%AE%E9%A2%A8%E8%88%B9%E3%80%8D%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%84) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6359&linkname=%E3%80%8C%E5%A4%A2%E3%81%AE%E9%A2%A8%E8%88%B9%E3%80%8D%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%84) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6359&linkname=%E3%80%8C%E5%A4%A2%E3%81%AE%E9%A2%A8%E8%88%B9%E3%80%8D%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%84)

16 Nov 2020
すばらしい一年の教科書
「いや、本当になつかしいですなあ」と、小学校の校長先生。入学式に顔を出して、一年の教科書の話をしていたら、「ぼくは昭和6年入学。サイタ サイタ でしたけどね。何が自慢かといって、教科書が色刷りになったのは、あれがはじめてだった。パァーッとピンクのサクラの絵。うれしかったね。みんなに、どうだって、みせびらかしたのを覚えていますよ」ついでに、図書室へ入れてもらって、最近の教科書をみせてもらったら、3年ごとに業者が内容を変えて出している。昭和49年のには、お日さまと、ヒヨコと、小イヌがいて、絵本みたいな感じで、あかるいな ふたつに わけるよと、小イヌが小屋をノコギリで切って、ヒヨコに小屋の半分をあげる。そこへ雨がふってきて、たいへん たいへんと、またその小屋を一つに合わせて、一緒にはいる。このころ、ひょっとしたら、住宅難か、あるいは核家族の問題があったんじゃないのかなあ。52年のは―あおい あおい うみひろい ひろい そらとか、きこえる きこえるとりの こえとか、やたらと、自然の美しさを絵でみせる。これも、やっぱり、自然保護を反映しているんでござんしょうねえ。そう、そういえば、いつだったか、大阪の小学校で「先生、教科書はウソいってる」と訴えた子供がいたそうだ。かわには めだかが およいでるとあるけど、そんな川はどこにもないやんか、ということでありました。まあ、そんなことの反省もふくめて、小学校1年のこのころの教科書は、豊かな自然、美しい自然を見直しているのでありましょう。いいことだと思います。絵をみても、動物も植物も人間も、みんないっしょになって、笑っている。すばらしいと思う。私のころの、おはなを かざるみんな いいこと、だいぶ違うと思う。だって、そうでしょ。かざる、というのは、どこへかざるか、という問題がある。あのころは、家庭に和らいだものがなかったから、みんなでお花をかざりましょう、とすすめられたんでしょう。でもね、これは、自然保護からいうと、おかしいのよね、花をかざるというのは、どこからか、とってきてかざる。買ってきてかざるということですもんな。これは自然破壊につながるし、自然をゆがめることになる。売れるもんなら…というわけで、チューリップの球根を冷蔵庫へつっこんで「冬やゾー」とだまして、早く咲かせたり、「年中、昼だー」と電気をつけっぱなしで、キクやらなにやらを店頭に出す。どうも、こういうことを考え出したのは、私たちのあの年代に育った連中じゃないかしら、と思ったりして・・・。図書室を出ようとしたら、若い先生、とてもハキハキしていらっしゃる。先生、あなたの小1の教科書は?「ハイッ。”ひろこさん はい。ただしさん はい” でした」。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6325&linkname=%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%80%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6325&linkname=%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%80%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6325&linkname=%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%80%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8)

19 Oct 2020
人の香り、臭みになるものは
「うちのお母さんのころの教科書はね、若ハン」と、76のおばあちゃんがいうからすごい。このひと、ずいぶんかしこかったそうな。なるほど、あんたのお母さんの教科書まで覚えてるの?「ハイ、というても、全部はいえませんちゃ。けどね、なにやら、キミ タミ オヤ コ というのだけ覚えとります」キミって、あんんたのキミじゃない方のキミのようですな。タミも、タミちゃんのタミじゃなくて、民の方みたいですな。オヤ コは親子か・・・、ナルホド。で、おばあちゃん、あんたの小学校1年の教科書は?「ハイッ!」オホッ、おばあちゃん、小学生に返ったぜ。手まであげて、元気なもんだ。それではどうぞ!「ハナ ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ!本に描いてある絵まで覚えてますちゃ。あっ、違うた違うた。これは妹のやわ。モトイ!そう、わたしのは、ハタ タコ コマ ハト マメ・・・そう、これでした、ハタちゅうたら、日の丸がパチッと描いてありました」すごい記憶力。おばあちゃん、よっぽど秀才だったんだね。そんならもう一つ。今度は2年生の教科書はどうですか?覚えてますか?「ありゃ、忘れました」そう、そんなものなんですね。はじめて開いた教科書の印象というのはものすごく強烈で、あとのはもう惰性みたいなもんだから覚えてないんでしょうなあ。「若ハン。私らのは サイタ サイタ サクラ ガ サイタやったです」と、さっきよりひとまわり若いおばあちゃん。こっちの方には、うなずく人が多かった。と、そばの奥さんは、「私ら、もちっと若いもん、さっき若ハンいうとられた、ヘイタイサン、でした。でもコンニチワじゃなくて、ススメ ススメ チテ チテ タ トタ テテ タテタでしたよ」今日の茶の間は年齢層が幅広いなあ。まあそれで、みなさん、適当に昔を思い出して、若い頃の気分にひたっていただければ、もう、私の説教はいらんわけですが、ちょっといわせてもらうと、やっぱり、小学校1年の教科書はすごい、こわ、ということです。キミ タミ やらヘイタイサン・・・ちゃんと時代を背負っていますわな。そして、その次はなぜか、ハナやら、みんな いいこ やらになる。で、習うた子は、それがどうしてそうなったのやらわからずに、とにかく覚えて身につける。仏教ではこういうの「薫習(くんじゅう)」といいます。印象づけられたものが心にしみつくことでありまして、近頃ではこれを「すり込み」なんていうようです。ちょうど、ものの香りが身にしみつくように、はじめに習うたものは、心にしみついて消えないものらしい。で、これが長いて、その人の香り、臭みになってゆくわけでありまして、もちろん、他のご縁もいっぱいあるけど、だいたい、キミ タミ と、ハタ タコ と、サクラ ガ サイタと、チテ チチ タ と、みんないいこ が鼻面突きあわせていたら、お互い他人のにおいが、肌に合わず、しまいには、ハラ立ってくる。困ったもんやねーといったら、みんあそろって「そやそや!」 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6300&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%80%81%E8%87%AD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6300&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%80%81%E8%87%AD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6300&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%80%81%E8%87%AD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF)

12 Oct 2020
人は育てる側によって育つ
おはなを かざるみんな いいこきれいな ことばみんな いいこ入学式になると思い出すのがこのことばです。昭和22年。なにやら世の中、ガタガタの時でありました。もうすぐ学校だからというんで、兄貴の教科書で勉強せい、ということになって、ヘイタイサン コンニチワ みたいなこといって、勉強しはじめたら、アカンアカンそれはもうアカンといわれ、なんのこっちゃわからずに学校へいったら、1年の国語の教科書をいただいて、ひらいてみたらこれでした。おはなを かざる みんな いいこなにやら知らんがうれしかった。というのは、うちの父が花が好きで、戦争から、帰ってきた次の日から境内の畠にガーベラやら、ポピーやら、デイジーやら、スイトピーやらとにかくカタカナの花を、植えたり、まいたりしはじめた。当時ものすごくめずらしかった蘭の一種で、シプディペデウムなんて花も、どこやらからもらってきたといって、その名を何度もいわされたことを覚えています。まあ、そんなことで、おはなをかざったり、きれいだといってほめたりすることが身についていたから、この教科書を読んだとたんに、ワァーッ ボクはいい子ナンダ!と思い込んでしまったわけ。で、次が、きれいな ことば みんな いいこ。これはもう全然アカンわけで、当時は大阪弁まる出しで、ナニイウテンネン アホ、などとやっておりました。でも、いい子は、きれいなことばをしゃべらんといかん、どうしようと思っていた折も折、学校内に演劇部ができた。情操教育で心を豊かに、ということなんでしょうが、1年から6年までの選抜で、村田先生という方が指導に当たられた。その第1回公演で、なんと主役が当たった。題は「村のお地蔵さん」。寺の子で頭がクリクリだったから、選抜されたんでありましょう。コレ!動いたらだめ!お地蔵さんはジッとして、目をつぶってなさい。そうでないと張りぼてのお地蔵さんにしますよ!えらいきびしかった。智恵熱出しながら直立不動でがんばった。これが大阪府のコンクールで準優勝。そのご縁で、NHKの児童劇団に入って、当時やかましかった標準語というヤツを勉強することになった。きれいな ことば みんないいこ は1年たらずで身について、授業中でも、朗読になると、私に当たって、それこそ、いいこぶりっ子で読んだものです。でね、何がいいたいかと申しますとですね、とにかく小学校1年の国語の教科書はこわい、小学校の先生はすごい、ということなんです。だってね、私はそれから大学を出るまで、終始一貫、きれいなことば、みんないいこの追求で、演劇科を専攻し、あわや新劇の役者になりかかった。これみな、小学校の教科書と、演劇の好きな先生がご縁になっている。その後、新聞社に入って、確かめてみたんですが、編集記者志望の同僚のほとんどが、小学校の時、作文のきびしい先生だったり、習字の上手な先生だったりで、きれいなことばを書くことが好きになった連中ばかりなんです。人は育てる側によって育つ、というのは本当なんですよね。すごい、と思うより、こわい、という感じ。あなた、小学校の時、どんな教科書でした?どんな先生でした? 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6293&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AF%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%81%B4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%82%B2%E3%81%A4) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6293&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AF%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%81%B4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%82%B2%E3%81%A4) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6293&linkname=%E4%BA%BA%E3%81%AF%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%81%B4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%82%B2%E3%81%A4)

5 Oct 2020
どうしようもない私でも
「聞いて、思って、身につける。そら、その通りやけどさあ。なかなか、そう、うまいことゆきませんちゃあ。ねえ、人間やもん。ねえ」さっきまで、うなずいて聞いていたおばあちゃん。お講の法座の中休み。こたつに足をのばしながら(そう、うちの寺では4月末まではこたつしてるの)仲間のおばあちゃんに「ねえ、人間やもん。凡夫やもん。できんっちゃねえ」と同意を求めている。「そいが、そいが、凡夫やもんねえ。聞いて、思うまでもいかんわねえ。わたしら、聞く-忘れる、聞く-忘れる やもんねえ」話し手も話しても、聞く-忘れるで、身につくなんて、とんでもない、という。大阪弁なら、まさに、せーないなー という感じ。でも、やっぱり、おばあちゃんのいう通りでありまして、ホーキケヨ、のうぐいすの鳴き声を聞いたとたんに、チカッと目覚めて「そうだ、世の中は無常なんだ。怠りなく努めねば…」と、仏道修行に一歩踏み出す人ばかりだったら、阿弥陀如来さまなぞ、居なさらんでもよかったかもしれん。ところが、ほんと、おばあちゃんのいう通り、聞く-忘れる で、なんにも身につかん私たちだからこそ、阿弥陀さまというお方、お出ましになったんでしょうなあ。「仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなし、これを聞という」これは親鸞聖人のおことばなんですが、どういうことかと申しますと、仏願は、つまり仏の願い。ここでは、阿弥陀仏というお方の願いであります。で、生起本末といえば、ことのてんまつ、一部始終ということ。ですから、阿弥陀仏というお方が、どういう願いを持ったお方で、どういう働きをしておられるお方かということを、疑いの心を持たずに、素直に聞くというのが、真宗でいう「聞く」ということなんです。上も中も下もない。ただただ、聞かせていただくばかりだという。で、その願いでありますが、わかりやすくいうと、阿弥陀仏という仏様は、この私-つまり、欠点だらけの、うぬぼれのかたまりの、頭のテッペンから足のツマ先まで、どこさがしたってマルのつけようのない、ペケばっかりの、どうしようもないこの私でありながら、それにも気づかず、ふんぞり返って、オレがオレがと生きている-そんな私を見そなわして、そういうお前だからこそ、救わずにはおかない、目覚めささずにはおかないと立ち上がれられ、もし、その願いがかなわなかったら、自分も仏にはならないとおっしゃって、そして、その願いを全うして仏様になられたのが、阿弥陀仏というお方だというのであります。仏様というのは、おしゃか様をふくめて、数限りなくいらっしゃるんだけど、その中で、十方の衆生、つまり、どうしようもないこの私を、救わずにはおかぬといってくださるお方が、阿弥陀さまなんだ。それも、聞いて思って身につけて、と、条件つけてではなくて、まったく無条件で、生きとし生けるものみなすべてを悟らしめる、とおっしゃって下さっている。こちらで何をどうするということもない。ただただ手を合わせて、ああ、そうでございましたか、と素直に聞かせていただいて、よろこぶほかはないのであります。ホッ、なにやらちょっとありがとうなってきたみたい。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6270&linkname=%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E7%A7%81%E3%81%A7%E3%82%82) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6270&linkname=%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E7%A7%81%E3%81%A7%E3%82%82) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6270&linkname=%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E7%A7%81%E3%81%A7%E3%82%82)

30 Sept 2020
あえてよかった/雪山隆弘
9月17日で先代・雪山隆弘の往生から30年が経ちました。1990年(平成2年)に50才で往生した隆弘は、晩年の闘病中も積極的に法話や講演を引き受けていました。今回公開する法話は、三重県の専修寺(浄土真宗高田派本山)で行われた法話です。・人間の死亡率は100%・健康第一だけが人生じゃない・テレビの言うことは99.9%ウソ・あえてよかったね・生きとる間は生きとるぞ・また会える世界など、善巧寺の定番となる話が盛りだくさんで、どこまでも明るく「私の生死いずべき道」を語った隆弘の集大成、決定版とも言える内容です。ビデオからのデジタル化のため、画質はよくないですが、どうぞご覧ください。 (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6261&linkname=%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%8F%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E9%9A%86%E5%BC%98) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6261&linkname=%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%8F%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E9%9A%86%E5%BC%98) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6261&linkname=%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%8F%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E9%9A%86%E5%BC%98)

28 Sept 2020
聞いて、思って、身につける
聞く、というのにも、いろんな聞き方があるもので、お経には、上中下の三つあると説いてあります。まずは、下。おい、俊隆!宿題しろよ、と私。「ウン、わかった!」とむすこ。で、次の瞬間、むすこはランドセルを放り出し、表へ飛び出している。コラッ!ちっとも聞いていないじゃないか。こういうのは、ただただ、耳で音声を受けとめた、というだけだから、下の聞といいます。次の中。これは、聞いて、思う。つまり、話を聞いて、心に当てて、うなずくってこと。「うん、うん」とお講参りのおばあちゃん。ちょっと、まだ早い。ほれ、前にも、お講の法座で話したことありましたよね。うちのむすこと、母親の対話。そう、5,6年前のこと、うちの家族7人が、朝ごはんを食べていた。そしたら、長男が、「ねえ、うちで、一番最初に生まれたのはだれ?」と聞く。当ててごらん、といったら、エート、とみんあの顔を見まわしながら、「ウン、一番はおじいちゃま、で、二番はおばあちゃま、三番はお父ちゃん、四番はお母ちゃん、五番はお姉ちゃん、そいで、六番目がぼくで、七番がのりくん」とやりだして、何度も何度もくり返す。それからしばらくして、こんどは、不思議そうにもう一度、みんなの顔を見ながら、ポツンといったの。「みーんな、生まれたねー」グッと胸がつまって、どういったらいいか戸惑っていたら、女房がフッと「そうねー。あえて、よかったわね」といったの。なんかこう、ブワーッとうれしくなったわけ。」で、やっぱり、私たち、本当にめったにないご縁で、夫婦になったり、親子になったり、嫁と姑になったんだから、女房のまねしてさ、一ぺん、みんな、手をにぎり合って、「あえてよかったねー」っていい合っておこうよ-とまあ、そんな話を、いろんなところでしたわけだ。婦人会でも、老人会でも、みんな「うんうん」って、うなずいて下さってね、私もうれしいなあって思ったことがある。まあ、こういうのが、中も聞。つまり、聞いて、心に当たるものがあって、うなずいて下さったわけでしょ。でも、これは、中も聞であって、上じゃない。というのは、うなずいて下さったから、よし、それでは今日これから帰ったら、まず、あなたと嫁さんで手をにぎり合って「あえてよかったわね」とやって下さいませ、とたのんだら、「そら、若ハン、ダメダメ!」だと。そう、上の聞は、聞いて、思って、身につけるってことなんです。ウン、それで、この話にはおまけがついていて、明日の土曜日の八木治郎ショーでアシスタントをやめなさる浜美枝さん。あの方、うちの婦人会のメンバーでもあるんだけど、この話をいつだったか聞いて下さったようで、今日発売のあの人の本の題名が、ズバリ「あえてよかった」なんですと。先日、電話をかけてきて、「番組はやめますけど、いろんな人にあえてよかったって思うし、それに、人生すべて出会いですものね。その出会いを、やっぱり、あえてよかったとよろこばなくっちゃね。あのことば、いただきます」ですと。話し手より身についているみたい。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6255&linkname=%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6255&linkname=%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6255&linkname=%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B)

21 Sept 2020
ねえちょっと聞いてョ
ホンコさん、というのがあります。報恩講と書きまして、早い話が、真宗の宗祖、親鸞聖人の法事なんです。これを秋から春までの間、ちょうど農閑期にあたる時期に、門徒の家を一軒一軒まわっておつとめするわけです。「寺の坊さん、ホンコまわりにこられたら空が荒れて・・・」とか、「ホーラ、宇奈月の雪坊さんがこられた」とか、いらんことをいってはやします。名前が雪山だからといって、雪を持ってくるわけはない。それこそ、因果の道理に反するわけなんだけど、やっぱり、こういうこと、いいたいんですね。ホンコさんだけじゃなくって、新聞社でもそうですね、あのデスクのときは事件がつくとか・・・そんなアホなことはないんだけど、因果の道理もわきまえず、ちょっといってみたくなることらしい。コンニチハ!「あー、ようこそ、お待ちしておりました」またホンコさんになりました。よろしゅうに。「ハイ、こちらこそ」で、お仏だんにおあかりつけておつとめがはじまる。キミョウムリョウ ジュニョライ―おつとめが終わると、お説経。そのあと、御文章という蓮如上人のお便りを古式ゆかしく拝読してホンコさんはおしまい。あとは茶の間で、お茶とお菓子をいただいて世間話に花を咲かせるんですが、なかにはおもしろいこともありましてね、きのうおまいりしたお宅では、おばあちゃんとお孫さんが迎えて下さった。コンニチワ!「あらー、お坊さんこられたわよ。さあ、ミッちゃん、お坊さんにいらっしゃいしましょ。ハイ、おあがり下さいっていいましょ。さあさ、どうぞっていいましょ。ねー、ミッちゃん。ハイ、ののさままいりましょ。ハイおすわりして。ハイ、いいコしてるんですよ。ハイ、ナンマンダブっていいましょ」キミョウムリョウ ジュニョライー「ホーラ、ミッちゃん、おつとめはじまった。いいコしてなさいよ。そうそうハイいいコですねー。ホラ、終わった」エー、今日は年に一度のホンコさんであります。ホンコさんと申しますのは親鸞聖人のご法事を申しておるのでありまして・・・「ハイ、ミッちゃん、お説教はじまったわねー。お行儀よくしとらんと、お坊さん、お寺へ連れていかっしゃるよ」(そんなこというてないがな)エー、それで浄土真宗の念仏の一門を開いて下さった聖人のご法事は、毎年毎年こうしてつとめさせていただいておるわけでありまして・・・「これ、ミッちゃん、ちゃんとしとろ!ちゃんと、お説教聞きましょ。ホラホラ、お焼香はあとで、あとで!」エー、でありますからして、この私たちは南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせをよろこび・・・「まあ、ミッちゃん、そんなことしたらダメ!もう!お坊さんに連れてってもらいますッ!」コレ、おばあちゃん、さっきからみとったら、あんた、ひとつも、私の話聞いてないのとちがうか。ミッちゃんもええけど、あんたちょっと、こっち向いて、ホーキケヨ。「さ、ミッちゃん。すみましたよ。お坊さんにありがとうっていいなさい!」あのなー。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6252&linkname=%E3%81%AD%E3%81%88%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%A7) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6252&linkname=%E3%81%AD%E3%81%88%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%A7) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6252&linkname=%E3%81%AD%E3%81%88%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%A7)

15 Sept 2020
だれが「冷え症」にした?
春めくと、庭でうぐいすが、ホーホケキョ他所では、ホケキョかもしれないけど、うちでは、ホーキケヨと鳴くんです。いや、うぐいすは、うぐいす語で鳴いているんだけど、聞く側が都合のいいふうに聞いちゃうんですね。法 聞けよ、法 聞けよ庭のうぐいすまでが、仏法を聞けよ、説法聞けよ、とのおすすめだ。法とは、真実の理法のことでありまして、おしゃかさまがお悟りになった真理そのものを、私たちは、法とか、仏法とかいっている。で、その法を聞くというのは、つまりは、正しいことを聞いて、目を開けということになるわけなんですが、例えば縁起の理法、「深く因果の道理をわきまえて、ありのままに世の中を見よ」とおしゃかさまはおっしゃる。そこで「ハイッ、左様でございますか」とチカッと目をさまして、次の日から占いもまじないも縁起かつぎもあさらばで、清く、正しく、美しい生き方が出来るのなら、いうことはありません。ところが、私たち、心の奥底をのぞいてみたら、ケイチツどころか、煩悩のうじ虫がウジャウジャうごめいて、おさまるきざしはまるでない。「そうそう、その通り!ホーキケヨ ホーキケヨ」さすが聞きなれたおばあちゃん、合いの手が胴に入っている。しかし、そういう煩悩を一つとしてなくすことの出来ない私だからこそ、智恵の目を開かさずにはおかん、救わずにおかんと、立ち上がり、手をさしのべ、抱きとって下さるお方が、阿弥陀如来というお方でございました。教えの親はおしゃかさま、救いの親はアミダさまなんですよねー。「ようこそ、ようこそ ナンマンダブ」月に二度のお講とよばれる法座も、寒い間はお茶の間説法。6,70人のお参り衆が、こたつとストーブを入れた22畳のお茶所に、ひざすり合わせてうなずいて下さる。なかにテカテカの顔した人が7,8人。午前中、すぐ近くにある老人福祉センターの風呂にはいって、お昼はお寺で出る精進料理を食べて、昼からゆっくり説法聞いて、3時になったらセンターで、もう一ぺんお湯につかって福祉バスで帰ろうという人たち。「センターでなら、体はあったまりますけど、心はあったまりませんがでね」わーすごい。ほんといいことおっしゃる。なんていうか、本質をついていますよね、福祉っていうものの。そういえば、役所はせっせと老人御殿を建てて、バスで送り迎えしてサービスこれつとめていらっしゃるようだけど、ちょっと二三歩さがってながべてみると、おとしよりのためというより、おとしよりをどこかへ隔離しておこうという「隔離福祉」になってるみたい。センターへ行けば、お風呂があって、テレビがあって、碁があって、リハビリがあって、カラオケがあって、なんでもあって結構ずくめのようだけど、いまのテカテカのおばあちゃんみたいに、体はヌクヌクでも心はスカスカなんじゃないかしら。でも、もっとすごいのは、そのおばあちゃんたち、家では心どころか、体もあったまらないんじゃないかしら。身心ともに冷え症のおばあちゃんにしたのは、一体、だれだ? 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6231&linkname=%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%80%8C%E5%86%B7%E3%81%88%E7%97%87%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%9F) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6231&linkname=%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%80%8C%E5%86%B7%E3%81%88%E7%97%87%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%9F) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6231&linkname=%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%80%8C%E5%86%B7%E3%81%88%E7%97%87%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%9F)

7 Sept 2020
半分と半分で一つ
緑色緑光のスリランカ旅行の、もう一人の同業者は、女優の浜美枝さん。好奇心プラス取材力も抜群で、いろんなものを仕入れて来ます。その中の逸品は、小学校一年生の算数の算数の教科書でした。「ねえ、ほら、見て見て!すごいわねえ。一年生で、もう、分数の計算よ。」粗末な教科書でしたが、見るとなるほど、一ページ目から分数の計算。「進んでるわねえ」といわれて、本当だなあと感心しながら、フト思ったんです。二分の一プラス二分の一は一・・・これはこっちの思い込みかもしれないけれど、この分数の概念というのは、すばらしいものでありまして、さすが仏教国ならではだと思ったんです。というのは、日本なら、一年生はやっぱり「イチタスイチハ、ニ」ですよね。ところがあちらは、まず、「半分と半分で一つ」なんです。つまり、一つと一つがあつまって二つになった、というのではなくて、半分と半分が寄りそって、一つに成り立っているということ。ねえ、すばらしいじゃないですか。「うーん、ほんとねー。これだけで、人生観が変わっちゃいそうだわ」浜さんも、しきりに感心しています。夫婦は、1人の男と、1人の女が出会って2人になる、というのが日本の一般的な考え方。「要するに、正数の足し算と引き算の世界ってわけねえ。それで、イヤになったら、2引く1は1で、また1人前、1人立ち・・・か。でも、日本になって、夫婦は二人三脚なんてことばあるじゃない」まあ、それにしたって、片っぽの足がちょいとくっついているぐらいのことでしょうが。それに引きかえ、スリランカは、なんてったって半分と半分で一つですからね。夫というものがいて、妻と呼ばれる。妻がいるから夫と呼ばれる。夫婦はだからやっぱり、半分と半分が寄りそって、やっと一つじゃないですか。これ、じつは、仏教の根本、縁起の世界なんですよね。あらゆるものは、縁によって起こる。「此あるが故に彼あり、此無ければ彼なし。此生ずれば彼生ず。此滅すれば彼滅す」すばらしい一体感だと思うなあ。「そうか・・・そうすると、親子もそうよね。うちは4人いるけど、子供が生じて、親生ずよね。」親子もそう、家族もみんなそう。町だって、村だって、国だって、世界だって、宇宙だって・・・みんな相寄り相あつまって、共に生きているんですよね。二分の一、三分の一、浜さん一家は六分の一、私の一家は七分の一が七つあつまってやっと一つ。そう考えてゆけば、私たちって「無限大分の一」。数かぎりないあらゆるものと、関わり合い、手をつなぎ合い、寄りそい、助け合って生きているんですよね。「そうよねえ。やっぱり、生かされているのよねえ」あらあら、算数のお勉強が、仏さまのお話になっちゃった。そばで手を合わせて聞いていた同行の門徒のおばちゃん。「そうそう。おかげさまやっちゃ。けどさあ、おら、小学校一年で、こんなむずかしい算数せんならんのやったら、スリランカじゃ小学校も落第ですちゃあ。アハハハハ」 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6212&linkname=%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A8%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A7%E4%B8%80%E3%81%A4) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6212&linkname=%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A8%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A7%E4%B8%80%E3%81%A4) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6212&linkname=%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A8%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%A7%E4%B8%80%E3%81%A4)

31 Aug 2020
「もらう」っていいことばです
「いいことばねー」さし絵の晃子さんが、スケッチの手を休めて、ポツンという。そう、私もいま、そのことばを反すうしていたところ。ガイドのアーナンダさん。名前もすごい。おしゃか様の一番弟子と同じなんです。ほら、お経の中によく「仏号阿難(ぶつごうあなん)」と出てくるでしょう。もうそれだけで、とっても親しみを感じているところへもってきて、日本語がペラペラ。いや、ペラペラというより、もっとこう、しっかりとした感じ。聞けばこのアーナンダさん、スリランカ1番のコロンボ大学の経済学部を卒業して、日本に留学したんですと。大阪の千里に下宿して、大阪大学で2年間勉強して、その間、近所の子に英語教えて、しっかりお小遣いをためて、北海道から九州まで、くまなく旅して、そうして、国へ帰って、いま、オーストラリア大使館に勤めている。マスターした日本語を忘れないように、年に2度は休みをとって、日本の観光客のガイドをしているんだという。「ボク、仏教徒デス。町デ働イテ、週末ハイナカヘ帰ッテ、百姓シマス。ソシテ、母タチト一緒ニ仏サマニオマイリシマス」もう、とってもうれしくなっちゃって、ようこそようこそ、という感じ。で、じつは、いいことばっていうのは、そのアーナンダさんのことばなんです。「皆サン、スリランカハ、ミドリ、多イデスネ。ホラ、ムコウニ見エルノハ、ヤシノ林デス。ズートズート、ゼンブ、ヤシノ林デス。ワタシタチスリランカデハ、アノヤシノ木カラ、ヤシノ実ヲモラッテ、ソノ実カラ飲ミ水ヲモラッタリ、花カラ出ル汁ヲモラッテオ酒ヲツクリマス」「コンドハ、ゴムの木ノ林ガ見エテキマシタ。ミナサンゴ存知デショウ。ゴムノ木ニキズヲツケテ、ソコカラ出ル、ノリノヨウナモノヲモラッテ、ゴムヲツクリマス」☆◇♡・・・?!このマークは、黒柳徹子さんが、日本にパンダがやってくるというニュースを聞いたときに使われた感嘆の符なのでありますが、まさにこれがピッタリの感動でありました。ねえ、おわかりでしょう。さし絵の晃子さんも、じつは、このこと思い出していたの。そう、ヤシの木から、ヤシの実をもらうんだって。ゴムの木からのりをもらってゴムにするんだって。わたしたちはこんないい方はしないよね。なんでも取ったり、獲ったりするだけで、もらうなんて思ってもいない。コメをとる。サカナをとる。客をとる。票をとる。月給をとる・・・。ね、そうでしょ。でも、ほんとは、なにもかも、もらいものばかりなんだよね。まいったなあ。スリランカまで行って、日本語を教えてもらっちゃった。「若ハン、そんなことウチでいうたら、なにやら他人の家から盗ってくるみたいやぜ」アハハとお経の会のおなちゃんたちが笑った。笑ったけど、やっぱり、そうだなーとうなずいた。「そういえば、水は天からもらい水だったわねー」「そうそう、自分の名は親からもらって、母ちゃんという名は子供からもらって、なにもかも、もらって生かされているんでしたわねー」あなたもこのことばをもらって、人生味わい直してみませんか。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6196&linkname=%E3%80%8C%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%86%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%A7%E3%81%99) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6196&linkname=%E3%80%8C%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%86%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%A7%E3%81%99) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6196&linkname=%E3%80%8C%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%86%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%A7%E3%81%99)

24 Aug 2020
慕う心がかたちになって
人が死んだら、まわりの者は、どうします?「そら、わかっとるこっちゃ。悲しんで、葬式出しますっちゃ。わたしら、なにほど出してきたもん。そーや、あのときは・・・」茶の間のお経の会のおばちゃんの目が、チカッと輝いた。(ヤバイ。このばあちゃんが失った人たちの話をはじめたら、エンドレステープで二晩かかる)いやそうでしたね。ではもう一つ。その人が、じつに偉大な、リッパな人だったら、どうします「ン?」いや、なくなったじいさんの話じゃなくて、すべての人が慕うような、そんな人が・・・。「あーそーか。それでもやっぱり、デッカイ葬式出して、弔電やら弔辞やら・・・」でそのあとは、「あとは、まあ、デッカイ墓建てて、デッカイ法事するぐらいじゃなかろうか」そうだよね。で、銅像つくったり言行録出したりして・・・。そうそう、それなんです。じつは、スリランカへ行ってみて、よくわかったのは、おしゃか様がなくなられて、そのあとに残されたものが、どんな風にしておしゃか様をお慕いしたか-そのことを目の当たりに見ることができたんです。「そういえば、むこうのお寺には仏さんの足あとやら、仏舎利塔やら、いろいろあったちゃねー」と、同行したおばちゃん。はじめはね、おしゃか様の教えを、大切にそのまま、口伝えで覚え、守っていたの。だけど、おしゃか様がなくなられたとたん、お弟子さんの中で「ああ、よかった。これで勝手にふるまえる」といったヤツがいた。じつはこれが逆の縁になって、口伝の教えを字にすることはもったいないが、あんなヤツもいることだから「自分達が聞いた教えを、キチンとまとめておきましょう」とみんなが集まってお経をつくったの。「如是我聞」(にょぜがもん)というこは、そのとき集まった人たちが「我はかくのごとく聞けり」とやったことなんです。で、さすがと思うのは、ただ自分1人で聞いたんじゃなくて、それは、いつ、どこで聞いたもので、まわりには弟子のだれそれとだれそれと・・・と、何十何百の人の名をあげて、だから間違いない、とあるんです。「私らがお経を読んだり聞いたりできるのも、その、ああ、よかった、といった悪いお弟子のおかげなんだねー」お経会の級長さん、なかなかいいことをいう。あちらでは、そのお経を木の葉に刻んで残したそうですが、つい一ヵ月前には、黄金の板に刻んだお経が発掘されて、大さわぎ。博物館の特別室には、たくさんの仏教徒が列をつくって、手を合わせていました。ところで、仏を慕う心は、お経だけでなく何かこう、礼拝の対象をこしらえよう、ということになってくる。それが、おばあちゃんのいうデッカイ墓-仏塔-おしゃか様の足あと-仏足石となり、だんだんと、立体化して、仏像へとすすんでくるんです。お寺とか、仏壇というのは、そういう二千数百年の仏様を慕う心の歴史の中でできてきたものなんですよね。そう、慕う心といえば同行のおばちゃん。仏様もさることながら、死んだご主人の形見の手帳を肌身離さず、毎晩、「とうちゃん、今日はここへおまいりしました」と書き込んでいたみたい。「こらぁ、若ハン、バラしたらだめー」 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6181&linkname=%E6%85%95%E3%81%86%E5%BF%83%E3%81%8C%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6181&linkname=%E6%85%95%E3%81%86%E5%BF%83%E3%81%8C%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6181&linkname=%E6%85%95%E3%81%86%E5%BF%83%E3%81%8C%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6)

17 Aug 2020
仏教が生きている国
「この世において、もろもろの怨みは、怨み返すことによって、決して静まらない。しかるに、それらは、怨み返さないことによって静まる。これは永遠の真理である」おしゃか様がおっしゃったことばなんですが、このことばをそっくり、わが国に対する賠償放棄の演説に引用したのが、スリランカのいまの首相、ジャヤワルディネ氏だったそうです。仏教の智恵と慈悲に基づく平和論を、そのまま、政治の世界に持ち出す、さすが仏教の生きている国だと思います。「どこやらの不沈空母とは大違いですなあ」と、総代さん。うん、そういえば、その不沈のおっさん、最近、どこやらの会合で演説なさって「私は、あるお方の占いを、全面的に信頼している」などと。ちょっとひどいと思いませんか。ある新聞にはそれをおもしろおかしく書いてあったけど、歴代首相はみんな、そのケがあったようで、トランプ占いやら、おはらいやら、おつげやら・・・。日本の行く末が、占いやおつげやらで左右されるようなこと、あるはずないと思うけど、あぶないなあ、そういうこと起こる可能性大ですなあ。因果の道理をわきまえて、ありのままにものを見ることができる人、とても少ないような感じだもの。もう、そうなったら、総代さんのいう通り、スリランカかインドに移住するしかないですなあ。「若ハン、そう悲観することないっちゃ。ほれ、ごらんなさいよ。生活はなんといっても日本やちゃ」門徒のおばちゃん、バスの中から外の町並みを指さして、上機嫌。「ほれ、ありゃ、はだしで歩いとるっちゃ。家も、ほれ、あんなに小さいし。食べるもんもカレーばっかりやろ。テレビもなさそうだし、まあ、これで、顔つきじゃあ二千年は負けたけど、生活では、三十年は進んどるんじゃなかろうか」と、のたまう。ほんに、ご当地は、生活程度は日本よりは低そうで、観光バスとみると、インドほどではないが、子供達が集まってきて、ライター、ボールペン、口紅とせがむ。中にはタバコをくわえて、ちょっと火を貸してくれなどとやってきて、ライターをみつけると、みやげものと替えてくれというのもいる。聞けば、この100円ライターというのは、なかなかあちらの技術で作るのがむずかしいそうで、およそ3倍の値段がついているようす。みやげもの売りも、なにやらみんな貧しそうだが、ふと思い返すと、私もこの子の年ごろ、大阪のヤミ市で、進駐軍がやってくるとだれから教えてもらったのか「プリーズギブミーチョコレートサー」とやった覚えがある。なるほど、あれから考えてれば30余年・・・おばちゃんが「30年は進んでいる」というのも間違いではないみたい。でもどうして私達、こうも勝った負けた、進んでる遅れてるなんて、順番つけたがるんでしょうなあ。バスが大きな寺の前にとまった。「ミナサン、オテラノナカ、ボウシトッテクダサイ、クツヌイデクダサイ、ホトケサマノイラッシャルトコロデスカラ」ガイドさんがきれいな日本語でいう。寺にはいると、大きな菩提樹の涼しい木陰で、おばちゃんも、総代さんも、この私も、母親も、そして現地のたくさんの参詣者も、みんなハダシで、手を合わせておまいりしている。一つになれるのは、仏様の前ぐらいなんだなあー。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6165&linkname=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E5%9B%BD) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6165&linkname=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E5%9B%BD) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6165&linkname=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E5%9B%BD)

3 Aug 2020
「不殺」二千年の島へ
「行きませんか?」どこへ?「スリランカ」ええ?!「いいとこだそうよ。南国の島、緑の島・・・」それをいうなら仏教の島、そう、一度はお参りしてみたいと思っていたので、その気になって、急なことだったので会合やら講演やらをおことわりして、門徒まわりのお参りも日のべしてもらって、バタバタと用意をはじめたら、「若ハン、大阪のお母さんと遠いとこへ行くんやってね。私も南の島へいっぺん行ってみたいと思っとったん。一緒に連れてってくらっしゃいよ」と、門徒のおばあちゃん。「そんならおらも・・・」と、寺の総代さん。この人は以前、インドへ一緒に行った人。トントンと話はまとまって、じつはきのうまで1週間余り行ってきました。で、今日は、本場のセイロンティでも飲みながら、みやげ話を聞いてもらおうと思って・・・。茶の間には、お経の会のメンバーが集まっている。地図でみると、インドの右下に、なみだのしずくのような島がありまして、これがスリランカ。以前はセイロンといっていた国で、ここはインドからお釈迦様が直接仏教を伝えた国といわれ、その教えが二千年余り、脈々と息づいているといわれます。雪国を長ぐつで出て、大阪でくつをはきかえて、お坊さんや信徒の方など18人のグループにまじっての仏跡参拝旅行となったわけですが、むこうへついたらとにかく、摂氏30度、湿度70%こりゃもうなんともいえないうれしさで、門徒のおばあちゃんは、「わぁーわぁー」と胸をはだけてあられもない。母親は、いやじつはこの欄のさし絵を描いてくれているんですが、スケッチブックを出して、写生に余念がない。総代さんは、乳牛を10数頭飼って、田んぼの何町か持っている酪農家で、1年に3度も米のとれる姿を見せつけられて、真剣に永住を考えはじめる。「牛は肥えているし、この緑のすばらしさはなんともいえませんなあ。インドと違って米だって果物だって、何だって、ちょっと工夫すれば、まだまだ収穫はのぞめますなあ」で、私はどうかといえば、行く前に読んだ早島鏡正博士の一文に、とにかくスリランカの人たちは、底抜けに明るく、生きものすべてが光り輝いている。これは、2千年余りかかって培った、仏教精神の具現である、といったことばが気になって、とにかく、生きものすべてに目を見はってみたんです。そしたら、ほんと、輝いているんだなあ。お経には、浄土の池には蓮があって、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光と説かれてあるけど、それに緑色緑光を加えてみたい気分。花々、動物、そして人・・・。早島先生は、この明るさは、仏教精神、とくに不殺生の戒律を守りつづけたたまものであろうとおっしゃるが、なるほどなあ、とうなずける。生きものを殺さない。もののいのちを大切にする。体にとまった蚊も殺さない。タテマエや説教や理屈じゃなく、それが生活にとけ込んで、2千年余り、代々受け継がれてきて、はじめて生まれたのが、この顔。光顔巍々(こうげんぎぎ)とはこのことなんでしょうね。「若ハン、負けたねー。2千年かかるっちゃ」と、門徒のおばちゃんは無邪気であります。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6151&linkname=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%AE%BA%E3%80%8D%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%B8) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6151&linkname=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%AE%BA%E3%80%8D%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%B8) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6151&linkname=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%AE%BA%E3%80%8D%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%B8)

27 Jul 2020
無明に始まり 無明で終わる
無明(むみょう)、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)-おしゃか様が菩提樹の下で、おさとりを開かれたその中身がこの12因縁だといわれています。コタツのおばあちゃんに聞いてみたら、「ムミョーというのと、生、老死というところだけ、ちょっとわかる。愛なんかわからん」という。ムミョーって何ですか?「だから、明るくないんでしょ。私みたいに、目はくらい、頭はうすい、智恵がない」大当り!いや、失礼、そのォおばあちゃんだけでなくって、みんなそうなんだから気になさらなくてもいいんだけど、とにかく、その無明というのは、あなたのおっしゃる通りなんです。で、行はどうかというと、その智恵のないまま行うわけで、うまくゆけないわなー。だから、その行いが認識され、色、香、味などの名色が生じ、眼、耳、鼻、舌、身、意という六根(ろっこん)が生まれ、その六根あるゆえに、感覚、知覚(触)が目覚め、この触(そく)によって、苦や楽や、不苦不楽を感受する。このあたりで愛がムクムク・・・といっても愛してるというようななまやさしいものでなくって、渇愛(かつあい)というか、ものすごい欲望がわいてくる。で、その欲から実際の行動をするんだから、これはもう、殺生、盗み、妄語(もうご)、悪口(あっく)、両舌(りょうぜつ)、綺語(きご)、邪婬(じゃいん)と、とどまるところをしらない。そしてその余力が存在(有)するかぎり、また新しい生を生み、ついてには、老死へ至り・・・で、もともと、無明から出発しているのだから、もとのもくあみ、無明へもどってまた迷いの流転(るてん)をくり返す―これが私たちの行く末、来し方だとおしゃか様がおっしゃる。「なんとも、なさけない。あわれ無常の一生か-ナンマンダブ」おばあちゃん、自分の行く末が見えたのか見えないのか、ちょっと悟った気分になって世の無常に、タメ念仏。いや、タメ息つくのは私も同じだけど、そこでフイッと、ごまかすか、ごまかさんか、ここが大事なところなんです。どうせ私ら、生まれてきたんだから、死なにゃあならん。けど、それはハハハッ死んだらしまいじゃと、わからんままにごまかすか、生老死は世の常だけど、この私のこの一生、今日一日のこのいのちを、いかに精一杯生き切るか、ということに努力するか、しないか・・・このあたりに、人として生まれてきた私たちの人生の送り方の別れ道があるのかもしれませんね。おしゃか様というお方は、そのあたりの現実の問題と、真っ向から取り組んで修行され、瞑想されて、お悟りをひらかれたんですね。そして、縁起の理法をあきらかにされ、生、老、死の悲しみ、苦しみ、おそれを乗り越えて、心豊かに生き、心豊かに死んでいかれたんですな。素晴らしいと思う。いや私らが評価すべき、次元の問題じゃないが。というのは、なにしろこちらは、無明の凡夫でありながら、凡夫と気づかないばかりか、おしゃか様と同じ修行をするほどの根気はないし、悟りのすべてをお経によって聞かせていただいても、チカッと目が覚めるなんてこともないナマケモノですからね。そんな私に、気付けよ、目覚めよと、働いて下さっておるのがこれまた、阿弥陀如来という仏様なんだけど・・・このへんの話は本堂でしたほうがよさそうだ、おばあちゃん、行こか?「若ハン、外は雪やぜ、本堂は寒い」ん?! 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6128&linkname=%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%AB%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%20%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%A7%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6128&linkname=%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%AB%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%20%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%A7%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6128&linkname=%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%AB%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%20%E7%84%A1%E6%98%8E%E3%81%A7%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8B)

20 Jul 2020
みんな、みんなご縁です
縁起というのは、きっかけとか、かくぁり合いとか、条件とかいった意味のことで、すべてのものは、たった一つで、コロンとあるのではなくて、いろいろなものがかかわり合って、存在している。条件がそろったら、どのように変わるかもしれない。で、それはだれが動かしているかというと、神さまでも仏さまでもない。あるがままに、かかわり合って生起している、それがすべてのものの存在の原理だと、おしゃか様がおっしゃる。例えば、おばあちゃん、ほれ、この急須と湯呑茶わん、いいでしょ。わたしがつくったの、最近のは水切りもよくて、評判もいいんだよ。「ほりゃ、若ハンの焼き物自慢がはじまった」と、コタツのおばあちゃん、クスリと笑う。いや、今日は違うの。だから、例えばの話ですよ、この茶わん、何から出来たか知ってるでしょ。そう、土から生まれたのよね。たまたま、近くの陶芸センターで、粘土を買って、コネコネやって、また、センターで焼いてもらったわけ。ところで、わたしの買った粘土の隣の粘土はどうなったかなあ。ひょっとしたら、老人クラブの趣味の会の方へいって、ぐい呑みか、灰皿になっているかもしれない。そのまた隣の・・・いや、センターのオケに入らなかった山の粘土は、まだそのまま、山の土のままのはず。いや、これもどこかの陶芸家がヒョイとすくって、何百万の大作をこしらえたかもしれない。「ハハハ、若ハンのとこへきた粘土が一番かわいそう!」ちょっと、そら、いいすぎだよ。でもね、これがご縁なんだな。私のヘナチョコ茶わんと、老人クラブのぐい吞みと、陶芸家の芸術作品は、皆同じ粘土-つまり前世は、兄弟なんです。で、この茶わんになったときが、私たちの人として生まれて生きているときと同じなのでありまして、これが、いつこわれるか、というと、今日とも知らず、明日とも知らず。いや、評判悪くて、だれも使わなかったら、200年、300年、1000年もつかもしれん。そうなったら、国宝もの・・・かも知れない。で、結局、生あるものは必ず死に帰すわけだから、茶わんもわれて、粉々になって、土に帰って、今度はセメントの材料にでもなって、どこかのビルに生まれ変わるかもしれない。そう考えると、面白いね「世界はみな兄弟」はほんとだね。人類だけじゃない。みんな兄弟!ところが、残念ながら、そうはすんなりいかない。展望台に立って景色をながめるように、生々流転のありさまが、この私にわかるかといえば、私も、この茶わんと同じで、自分がどこからやってきたのか、わからない。どこへゆくのかもわからない。ついでにいっておくと、さっきおばあちゃん、私のところへきた粘土が一番かわいそうなんて冗談いってたけど、ものの値打ちなんてものは、人間の煩悩できまるもんだから、あてにはならんのよ。いや、これはちょっと、弁解みたい。煩悩の話はまたあらためて。で、縁起でありますが、この茶わんをみるにつけても、山の土が、粘土になって、ひねられて、焼かれて、形ができて、使われて、よろこばれたり、いらないものにされたりして、欠けて、こわれて、捨てられて、また土にもどり、河を流れ・・・みんあみんな、ご縁なんですね。見えないけれど、私たちもまた同じように、縁起の中にあるんだなあ。焼かれにゃわからんのかも知れんけどさあ。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6118&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%94%E7%B8%81%E3%81%A7%E3%81%99) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6118&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%94%E7%B8%81%E3%81%A7%E3%81%99) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6118&linkname=%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%94%E7%B8%81%E3%81%A7%E3%81%99)

13 Jul 2020
すべてありのままに生じる
縁起というのは、かついだり祝ったりするものじゃなくって、縁によって生ずるという因果の道理そのもののことでありまして、ウリのつるにはナスビはならん。そういえば、おもしろいお経がありましてね、「仏説稲芋経」という。イネやらイモやらのことが説いてあるみたいで、富山のコシヒカリにも関係あるかと思ってちょっとひらいてみたんです。「かくの如くわれ聞きぬ。あるとき、おしゃか様が、王舎城で多くのお弟子達を前にしてこんなことをおっしゃった」という決まり文句からはじまって、おしゃか様のさとりの根源がのべられてある。「因あり。縁あり。これを因縁法と名づく。この法はすべての存在のあり方であって、この法をみるものは、仏をみる」このあと、例を引いてこの道理を説明してくださっているんです。「例えば、稲の種モミはよく芽を生じ、芽はよく葉を生じ、葉より節、節より茎、茎より穂、穂より花、花より実を生ず」当たり前のことですな。その通りですよね。で、次にね、もし種モミがなかったら、どうなるかっていわれる。これももう知れたこと。種モミがなかったら、芽もなく葉もなく、節もなく、茎も穂も花も実もならない。このあたりになると、こたつでコックリのおばあちゃんもうなずいて、「そうそう、その通り」と相づちを打つ。さあ、そこで大事なことだけど、この種モミは「よーし、大きくなって芽になるぞ」と思うだろうか?葉が「節になりたい」とか穂が「花を咲かせたい」とか思いますかね。そんなこと聞かんでもわかってるという顔をしている、でしょ。なのに、種モミは順々に成長して、穂になってゆく。いったい、だれがそうさせるのだろうか?「そら、若ハン、神や仏のおかげでしょうが」困ったな。お経にはそうは説いてない。土や水や、太陽や、風や時節が縁となって稲は育つと書いてある。「そうそう、その土や水の神さん!」いや、だから、その土や水や風だって、すべて因縁生で、我というものがないんだです。ですから、この種モミを育ててやろうとか、あっちの種モミは育ててやらないとか、そんなこと、ちっとも思っていないのよ。お経には、すべてがありのままに、因と縁によって生じたもの(人を含めて)であって、自在天-つまり、おばあちゃんのいう神さまね、そういう方が、この世のすべてを創造されたのではない、と、おしゃか様はおっしゃているんでんです。おわかりですか?ことばが足りないけれど、これが因果の道理というものなんですよ。だからね、早い話が、神社の鈴鳴らしても景気はよくならんし、交通安全のお札をもらったって事故がなくなったりするわけない。それに、どこやらでお百度参りしたら入学やら就職やらがうまくゆくなんてことあるわけない。みんな因果の道理に反するでしょ。それから日を選ぶというの、あれもいけませんなあ。今日という日は、私にとってもう二度と戻らない日でしょ。それをなにやら、仏滅や友引や大安やとやっている。昭和のはじめにあれ一度禁止されたはずなんだけど、近ごろは、かしこそうな人まであれをかついで、今日は日が悪い、なんてやってる。どうして、ああいうことになるのかねーことしゃ春から、なんとなく、ハラ立つなー。 昭和52~53年にかけてサンケイ新聞婦人面に掲載された「お茶の間説法」の文章です。 「お茶の間説法」(37話分)>> https://www.zengyou.net/?p=5702 (https://www.zengyou.net/?p=5702)>>「お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=SMA433zF8Dc&list=PL7aC6NEs_REAjKlo9Tyi_WRR2c3SfrFIV)>>「続・お茶の間説法」 プレイリスト (https://www.youtube.com/watch?v=7OV1vC3Jzjo&list=PL7aC6NEs_RECiQAUlv2bm2SfyHFfEzBY8) (https://www.addtoany.com/add_to/facebook?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6080&linkname=%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%98%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/twitter?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6080&linkname=%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%98%E3%82%8B) (https://www.addtoany.com/add_to/line?linkurl=https%3A%2F%2Fwww.zengyou.net%2F%3Fp%3D6080&linkname=%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%98%E3%82%8B)
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