『放心サイコキネシス』は坊主と書店員のポッドキャストです。コンセプトは”言葉をひらく。文学、映画、音楽、ニュースや暮らしのあれこれ、その「物」自体は気軽にシェアできるけど、その感触はひらいてみないとわからない!いつもよりすこし時間をかけて、物からポエジーをたぐりよせていく。一億二千万分の一のリスナーのための配信番組です。/放心サイコキネシスではみなさんの「ツイッターの下書き」を募集しています。呟こうと思ったけど結局そのままにしてあるツイート、などを送ると我々が手前勝手に捏ねたりのばしたりします。お付き合いしてくださるかたは下のURLからお願いいたします。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7T2mfeCdTcIzB1Ji2YTh1_yiB_Hr1ZP-YlK16d9vua3R1Dg/viewform

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『放心サイコキネシス』は坊主と書店員のポッドキャストです。コンセプトは”言葉をひらく。文学、映画、音楽、ニュースや暮らしのあれこれ、その「物」自体は気軽にシェアできるけど、その感触はひらいてみないとわからない!いつもよりすこし時間をかけて、物からポエジーをたぐりよせていく。一億二千万分の一のリスナーのための配信番組です。/放心サイコキネシスではみなさんの「ツイッターの下書き」を募集しています。呟こうと思ったけど結局そのままにしてあるツイート、などを送ると我々が手前勝手に捏ねたりのばしたりします。お付き合いしてくださるかたは下のURLからお願いいたします。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7T2mfeCdTcIzB1Ji2YTh1_yiB_Hr1ZP-YlK16d9vua3R1Dg/viewform
Language
🇯🇵
Publishing Since
4/28/2019
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Recent Episodes

July 31, 2020
答えよりもしたたかに――綿矢りさ『私をくいとめて』
※かわいい文鳥の鳴き声がはいっています。 ※Skypeによる収録のため、音声の悪い箇所がありますがご容赦ください。 以下、駒田の副読文です。ききながらでも、きくまえでも、きいてからでも。 5;15~ こんな風な言い方ができるのも小説というものの距離の自由で、つまりいつどこでどんな作品と出会うかというのが時代ではなく個人の文脈のほうに寄っている。綿矢りさは自分が小説を読み始めるまえに出会っていて、ある程度小説を読み始めてからそのことを思いだし、実際に作品と合流した。そのときはもうひとしきり読まれていた『蹴りたい背中』を、ほかのひとからみれば「いまさら?」というタイミングで読んだ。けれど『蹴りたい背中』をはじめて読むひと、というのはこれから先にも現れるだろうし、自分はそのあと綿矢りさから離れた(好きにならなかったというよりは、他の作家にのめりこんだ)けれど、ずっと追い続けた読者ももちろんたくさんいると思う。反対に自分はまだ読んだことのない三島由紀夫を一生読まないまま死ぬかもしれないし、このあとぱったり小説自体読まなくなるかもしれない。そんな風にいろんな人生のすべてに組み込まれる可能性として残り続ける小説が数多あるというその存在感をときどき感じることがある。 14:00~ 頭の中にいる存在を「自分」とみとめつつ、そのイメージする姿が「自分」とはまったく似ていない、という図は直感的には捉えづらいのだけど、生活をしていると実感としてわかってくる。自分らしくない自分、という像が自分のなかでいつの間にか形成されていて、厳然として自分なのだけど、それの下す価値判断をどこか他人事として受け止める自分が要る。それは社会との接触や経験のなかで醸成された態度かもしれず、人が何かの軸に基づいて一貫している存在なわけがないという、もしかすると生きていくにあたっては都合の悪い事実がはじめから受け止めて書かれている。 22;00~ そういえば「最悪な気分になることはわかっているけどそれに向かってしまう」、という描写は作中にもあって、幸せに生きることがむずかしいのは現実自体のつらさにくわえて、そういう気持ちを克服できないことにもあるような気がする。幸せになるためのA(Answer)をわかっていながら、その追求に徹しようとすると刹那的な気分が邪魔をしたりする。あるいはその先の先の未来にある虚無を感じて立ち尽くしたりする。幸福を達成できなかったときのために、その要因をあらかじめつくっておくかのように、不幸に突き進んでいたりする。 33:40~ 絶滅しかけていたので保護したら保護環境でしか生きられなくなったカエルというのがいて、人間個人はそれに似ている。住みやすさとはべつに自然は存在していて、それはもうそこに暮らす側の人間からはどうしようもないということ。世界や自分自身に対してどうしようもないことがある、という事実を知るときに、ひととつながることは重荷を増やすようで重苦しくなる。 40:11~ たとえばAの言うことをまっとうにききつづけていれば、あの永井博の世界にいけたのかもしれない、という想像ができる。けれどそれはやっぱり想像のなかでしか現実的に映らないというか、イメージのなかだからこそ味わいのあるリアリティに留まる。 「自分」がどこにいるのかわからないとき、どこかひとつの場所にいると考えることがまずまちがいなのかもしれず、どこにいるのか、という問題設定からまず見直すべきかもしれない。現実に溢れ流れていく私、イメージに溢れ流れていく私、そのどちらをもくいとめて、私は私のなかにいられる。

May 4, 2020
‘’放心する‘’ということ
※かわいい文鳥の鳴き声が入っています。 以下、駒田による副読文。 ・村上春樹のラジオを昔きいたときに不思議な聞き心地があったことをおぼえていて、あれはなんだろう。ふつうに喋っていたら出るはずの「えー」とか「あのー」とかまったくないし、詠嘆もほとんどない、ただ言葉と言葉の間にすこし不自然な間があって、喋っている最中は淀みない。淡々とジャズを紹介する役割をこなしつつ、喋りとしては異質なのにその異質さにはとくにふれられず始終する。はじめは戸惑ったけれど、段々おもしろく思えてくる、いま思うとあれは村上春樹のこわばりだったのかもしれない。あきらかに意図的にそうした喋り方をこころがけていて、その意図への執着がおもしろかった。あれは一種の「放心」だと思う。 そういう目線に立って自分が好きできいているpodcastやラジオをきいていると、やっぱりどこかで「放心」が見られる。どれだけ喋りがうまくてもその瞬間だけは隙がある、というようなこわばりの瞬間。きっとそれがききたくてきいている。 ラジオは基本的にひとりかふたりなど少人数で放送されて、その環境がごく個人的なこだわりを貫き通しやすくしているのではないだろうか。電波としてひらかれていながらそれが発信されている場所自体は広場じゃなくてとても狭いブースであったりする、SNSのように監視のゆきとどいた場所ではあらかじめ気にしてしまって言えないことを言えたりする(結果それがネットニュースになって同じ目に遭ったりはするのだけれど)。とにかくこだわりがこわばりになる。油断しているのではなくて、どうしてもそうしたくなるし、そうしてしまう。たとえ意味が伝わらず、そもそも意味がないのだとしても、自分のそのこだわりに執着してしまう状態、外部からの抑圧がうすく、ある程度自由でリラックスしているらこそそうできてしまう状態、放心。この状態をつくることは、なかなか難しい。 ・ぺこぱの話がすこしでている。自分はぺこぱの漫才が好きだ。ただベルクソン風に言うならぺこぱの漫才をみて自分が「反省」するのはボケのシュウペイではなくてツッコミの松陰寺に対して、ということになる。こういう人間をみたときに”つい注意してしまう自分”を反省している。アンガーマネジメントの一環で、こわばりそのものを緩衝しようという自己研鑽にちかい営みになり、自分はシュウペイをどこまで許して愛でられるか、という方向性を持つ。個人的にはもう、シュウペイには、家で毒ガスつくってたらいっぱいできちゃったからお隣さんちに持っていくとか、そういうボケをしてほしくなっている。そのとき自分はシュウペイと、シュウペイを許す松陰寺のどちらを見るんだろう。 ・生きる柔軟性を失っているひと、と言われればかなり心当たりがあるので自分は比較的「放心家」であるといえるのだろうけれど、だれだっていついかなるときも放心状態というわけではないと思う、自分のpodcastをききなおしていて、いろいろ考えるところはある。未だに緊張するし、いろいろな点で配慮がはたらいている、結果的に放心を意識的に志向するような極めて半端な態度でいることがおおい。たぶんもっと適当にやったほうがいい。とはいえ、一個自分のなかに明確なこだわりがあるとすれば、それは散漫であることだと思う。具体的にいうと、自分でもまだわかってないことを迂闊に喋ってしまうことだ、話にまとまりがなくなり結論らしい場所に着地しないことに自分の放心はある。わかっていることをわかるように喋ることならもうすこしくらいうまくできそう(いやできないかも、でもそれをするならせめて文章でやりたい)だけれど、喋りたいことはあんまりそこにはない、自分は問いたいのであって、回答したいわけではない、ということもふまえて、伝われと念じるように喋っている、それが本当にだれかに伝わったとき、放心サイコキネシスは実現するのかもしれない。でもこの話はここまで書いてみて、アーティストの公式ページでたまにある「それ自分で言う?」って感じのバイオグラフィみたいでやだなって思ってます。

April 21, 2020
雑談:言葉と現実
※かわいい文鳥の鳴き声が入っています。 以下、駒田の副読文。 8:25~あたりまえのこととして、言葉はだれもが使う。使うし、発する。「言葉を扱うプロ」という括りをしてさえライターやラジオパーソナリティ、芸人など様々ある、そのなかにおいて小説家がとりわけ言葉をどう発揮するかを考える。それはきっとジャーナリズムでもないしスピードでもない、もしかしたら真実や本質とかいったものも、求められないかもしれない。そもそも求められることを出す仕事ではない気がする。かといって無視を決め込むのか、というとそうでもない。震災のときはあくまで震源地があって、そこから離れていればいるほど当事者性はうすれていた(視座にレイヤーがあった)けれど、今回のこれは全員が当事者だから、無視をするのはすこし無理がある。無理があるというか、公表するか秘匿するかなどはあるにせよかならず生きるうえでなんらかの実践をしているはずで、いま、商いにせよ生活にせよ、あらゆる営為はその意味を強調している。あらゆる営為がなにかを表現をしている。だから、小説を書く、という行為自体への意味もまた強くなっている。なにを書くにせよ、それを一旦引き受けてから書かれる。 10:19~「世界文学」という言葉をあんまり定義してはいないけれど、ここでは現実(世界)を参照して書かれる/読まれる作品、ということで、それはこれまでの文学の分類も変わるかもしれない、否応なく世界の見方が変わってしまったという意味がつよい。だから世界を無視した作品を書くことは盲目的だと感じもする。ただ、すべてのひとが世界とつながって生きているわけではない。すべてのひとが時代と共に生きているわけではない。けれど世界に向けて文学を書いてしまう、というほうがむしろ盲目的なようで、これはどうだろう。 11:40~この収録のあとでみたものですが、アクトビラがyoutubeにも配信しているトーク番組ぷらすと「SFと現実」( https://youtu.be/O_pcu2atyOA )がこのあたりの話をちゃんとしていておもしろいです。 14:10~「自我を保つ」というのが今までは自己顕示欲や他者性に対するリアクションだったのが、もっと巨大なものに対するアクションになったかもしれない。能動的にはたらきかけつづけないとやられる、けれど能動的にはらたきかかえつづけるのはつかれる、という板挟みでくるしい。 18;00~フィクションがなんのためにあるかというのはいちいち考えなくてもよいことだろうとは思うけれど、フィクションがあってよかったとおもうことについてはよく感じておいたほうがいいなと個人的には思っている。目に見えている穴ではなく、自分でもあると気づかなかったちいさな穴を見つけて塞いでくれるものがフィクションであったりする、大きな穴はみんなで直せばいい。小さな穴は、そのそばにいる人だけにしか見えない。なんか、そういう感じのことだと思うんだけどなあ。 24:48~感情の壁についてはこちら( https://note.com/8611/n/n7803b7f36f53 )。 28:46~頭からではない場所にある言葉のことだ。 30:00~長文を完璧に構成しようというのはほとんど無理な話で、ある量からはまったく手に負えないものになっていき、書く側も読む側もそれが完璧なのかの判別さえ不可能になっていく。そういう長文を読む、読もうとするのはそれだけでやさしいことだ。言葉が情報の閾を逸して人間と紐づくにはそれくらいの手間が要りはしないだろうか。それを書く、読む心のひろさもふくめて。短文ならせめて詩として飛躍したい。
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