人生の意味や喜び、生きる目的は?聖書から答える!大野キリスト教会(神奈川県相模原市)の日曜日の礼拝で語られている聖書メッセージをお届けします。説教者は中澤信幸牧師です。

礼拝説教と聖書メッセージ〜音声ポッドキャスト毎週更新
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人生の意味や喜び、生きる目的は?聖書から答える!大野キリスト教会(神奈川県相模原市)の日曜日の礼拝で語られている聖書メッセージをお届けします。説教者は中澤信幸牧師です。
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6/27/2021
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April 11, 2026
祈り続けているのに、何も変わらない。それでいいのだろうか
毎日、誰かのために心を砕いて、祈って、見守っている。<br /> それなのに、状況は変わらない。<br /> 「私のやっていることに、意味はあるのだろうか」<br /> そんな問いが、ふとよぎることはありませんか。<br /> <br /> 私はあなたの若かった頃の誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地での私への従順を覚えている。<br /> わたしの民は二つの悪を行った。一つは湧き水の泉である私を捨てたこと。二つ目は多くの水ため、水をためることのできない壊れた水ためを自分たちのために掘ったこと。<br /> <br /> 誰も覚えていなくても、神は覚えている<br /> 神様は記憶力が抜群です。<br /> それも、人間の「記憶」とはスケールが違います。<br /> エレミアが生きた時代、神はイスラエルの民にこう言いました。<br /> 「あなたたちの若かった頃の誠実を、私は覚えている」と。<br /> 「若かった頃」とは、千年以上も前のことです。<br /> エジプトで奴隷だったイスラエルの民が、砂漠を歩き始めたあの日のこと。<br /> 水も食べ物もない荒野で、それでも「あなたが神です」と言い続けた、あの頃のこと。<br /> 誰もそんな昔のことは覚えていません。<br /> 歴史の教科書の中の話です。<br /> でも神は「覚えている」と言う。<br /> これはただの励ましの言葉ではありません。<br /> 神は、目に見えないところで積み重ねてきた歩みを、千年単位で覚え続ける方だということです。<br /> 誰かに気づかれなくても、表立って評価されなくても、それでも誠実に続けてきたこと。<br /> 神はそれを、ひとつも見落とさずに覚えています。<br /> 「問い続けること」が、信仰の核心<br /> ところがエレミアの時代、民はある大切なことをやめてしまいました。<br /> 神に「なぜですか」と問うことを、やめてしまったのです。<br /> 代わりに何をしたか。<br /> 自分たちで解決しようと、あちこちに水ためを掘り始めました。<br /> 水のたまらない、壊れた水ため。<br /> でも彼らは掘り続けた。<br /> こっちにも、あっちにも。<br /> 「もっと穴を掘れば、何とかなるかもしれない」と思って。<br /> これは他人事ではありません。<br /> 誰かのために「何かしなければ」と焦って、あれもこれもと手を出す。<br /> でも状況は変わらない。<br /> また別の手を探して、また動く。<br /> それが悪いことだとは言いません。<br /> ただ、その忙しさの中で、神への問いが消えていないか。<br /> 「神様、なぜこうなっているのですか。あなたはどこにおられますか」という言葉が、心から出なくなっていないか。<br /> エレミア書が語るのは、こういうことです。<br /> 困難の中で神に「なぜですか」と問い続けることは、ふさわしいことだ、と。<br /> 答えが来なくても、問い続けることそのものに意味がある、と。<br /> 泉は、問いの先にあります。<br /> 自分で掘った水ための中にはありません。<br /> 毎日、心の中で誰かのことを神の前に持ち出して、「なぜですか」「どこにおられますか」とつぶやいている。<br /> それは、信仰が足りないのではありません。<br /> それこそが、信仰の核心に触れている姿です。<br /> 考えてみましょう<br /> 「問い続けること」と「自分で何とかしようとすること」の間で、今の自分はどちらに引っ張られているでしょうか。<br /> このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<br /> <a href="https://www.youtube.com/watch?v=c85P3PYdQZw">動画はこちら</a><br />

February 16, 2025
礼拝メッセージ「愛はあるのか?」レビ記19章17‐18節
<br /> レビ記における愛のルール<br /> <br /> <br /> <br /> レビ記は一見すると細かい規定の集まりに見えますが、実はそこには「愛のルール」が貫かれています。どのように生贄を捧げるか、何が清いか清くないかといった規定は、単なる法律ではなく、神の愛がその根底にあるのです。<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> 神が聖であるから、私たちも聖でなければならない—これがレビ記の中心的なメッセージです。清いとは、神の側にあることを意味します。一本の線を引いて、神の側にあるものを「清い」、そうでないものを「汚れている」と呼びます。私たちは神の側に招き入れられ、清いものとして歩むようになったのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 神の秩序ある歩み<br /> <br /> <br /> <br /> レビ記19章には、神の側にある秩序ある歩みについての教えが記されています。畑の隅々まで刈り取らず、落ち穂を拾わないでおくこと、嘘をつかないこと、耳の聞こえない人を悪く言わないこと、目の見えない人の前につまずくものを置かないことなど、共同体の中で互いを大切にする教えが並んでいます。<br /> <br /> <br /> <br /> そして今日の箇所では、「心の中で自分の兄弟を憎んではならない」「同胞をよく戒めなければならない」「復讐してはならない」「恨みを抱いてはならない」という教えが記されています。<br /> <br /> <br /> <br /> 愛の挑戦<br /> <br /> <br /> <br /> これらの教えを聞くと、私たちはすぐに「でも…」と言いたくなります。「いい兄弟ならともかく、自分だけいい顔をして嫌なものは全部私に押し付ける兄弟もいるじゃないか」「何度戒めても聞く耳を持たない人もいる」「復讐したくて仕方がない状況に追い込んだのは相手ではないか」と。<br /> <br /> <br /> <br /> しかし、これらすべての「でも…」に対する答えが、レビ記19章18節にあります:「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。私は主である。」<br /> <br /> <br /> <br /> 愛とは何か<br /> <br /> <br /> <br /> 愛とは何でしょうか。愛とは、神の側にあるものが、神の側にないものを招き入れることです。線の向こう側にあるものを「知りません、関係ありません」と言うのは簡単ですが、愛はその線の向こう側にあるものを招き入れようとするのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 神様はイスラエルの民をエジプトから導き出されました。神の側にないものを、ご自身の側に招き入れられたのです。民が自分たちで「私たちは正しくなりました、あなたのものです」と言って入ってきたのではなく、神様がふさわしくないものをご自身の側に招き入れてくださったのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 愛を可能にする二つの意識<br /> <br /> <br /> <br /> では、どうすれば私たちはこのような愛を実践できるでしょうか。「そんなことできない」と思う私たちに、二つの重要な意識を持つことで愛することが可能になります。<br /> <br /> <br /> <br /> 1. 隣人になるという意識<br /> <br /> <br /> <br /> イエス様は「良きサマリア人」の例え話を通して、「誰が隣人になったか」と問いかけました。注目すべきは、イエス様が「誰があなたの隣人か」ではなく、「誰が隣人になったか」と問うたことです。<br /> <br /> <br /> <br /> 隣人になるとは、隣に寄り添って立つこと、この人を何よりも大切にすること、この人を理解し、励まし、支え、守ることです。 単に愛するか愛さないかという行動の選択ではなく、隣人になるという意思が求められているのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 2. 愛は次の人にまで届くという意識<br /> <br /> <br /> <br /> 神様が望まれる愛の形を最もよく示したのがイエス・キリストです。イエスは弟子たちの足を洗い、「私が主であり師であるのに、あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と言われました。<br /> <br /> <br /> <br /> これは単に「私はあなたを愛している」ということ以上の意味があります。神の愛は、神から私へ、そして私から次の人へと流れていくものなのです。 私が誰かを許すとき、その人が次に誰かを許すような関わりをするのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 例えば親が子を育てるとき、その子が将来どのように他者と関わるかを視野に入れながら育てます。私の行動が、目の前の人だけでなく、その先の人にも届いていくのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 神の責任のもとでの愛<br /> <br /> <br /> <br /> 「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。私は主である。」という言葉の最後に「私は主である」とあるのは重要です。神様は「私が全てのことに責任を持つ、このことを定めた私はこのことの全部を手の中で動かす、あなたの歩みを司る」と言っておられるのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 私たちが「できない、したくない」と思うとき、「私が主である」と言われる神様が全ての責任を持ってくださるのです。だから私たちは「神様、私にはできませんが、あなたが主であるというなら、導かれるままに、あなたに委ねながらやっていきます」と応答することができるのです。<br /> <br /> <br /> <br /> まとめ<br /> <br /> <br /> <br /> 神様の大きな愛のルールの中で、私たちは隣人となり、その愛が次の人にまで届くように生きるよう招かれています。 それは私たちの力だけではできないことですが、「私は主である」と言われる神様の責任と導きの中で可能となるのです。<br /> <br /> <br /> <br />

February 9, 2025
礼拝メッセージ「贖いの日」レビ記16章29-34節
<br /> レビ記における愛のルール<br /> <br /> <br /> <br /> レビ記は神様が私たちを愛してくださり、その愛が貫かれていくためのルールと理解することができます。前回は「清さ」について学び、神の側に置かれることが「清い」ということであり、神様が私たちを清い側に置くために労されたことを見ました。今回は、この愛のルールの中で特別な位置を占める「贖いの日」について考えていきます。<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> 贖いの日は、1年に1度、罪が贖われる特別な日であり、ヘブル語で「ヨム・キプール」と呼ばれます。 この日は、イスラエルの民にとって代々親から子へ、子から孫へと語り継がれ、守られるべき永遠の掟となっています。<br /> <br /> <br /> <br /> 贖いの日の意味<br /> <br /> <br /> <br /> レビ記16章29-34節によれば、第7の月の10日に定められたこの日には、すべての人が自らを戒め、いかなる仕事もしてはならないとされています。なぜなら、この日は「あなた方を清めようと、あなた方のために贖いが行われる」からです。<br /> <br /> <br /> <br /> 贖いとは何でしょうか。それは、何かが大きく揺れ動いている状態を沈め、治めることです。罪に関する贖いについて、まず2つの誤解を解いておく必要があります:<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> * 「神は人の罪に怒っておられる」という誤解<br /> <br /> <br /> <br /> * 「贖いの生贄が神の怒りを贖う」という誤解<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> 実際には、神は一つ一つの罪を犯した人に怒っているのではなく、罪の現実に心を痛めておられるのです。 神様は世界を良いものとして創造され、それを見て満足されました。しかし、人が神の言いつけに背くことで罪が入り、人間関係が傷つけ合うものになっていく姿を見て、神様は心を痛められました。<br /> <br /> <br /> <br /> 神の内側での贖い<br /> <br /> <br /> <br /> 神は罪の現実を見て、「もうこんなものはない方がいい」と全てを消し去ろうとされましたが、心を入れ替えて人を生かすことを選ばれました。神は罪の現実から人を救い、ご自分の清い側に招き入れるために、ご自身の力を注がれています。<br /> <br /> <br /> <br /> 神は罪そのものを憎むかもしれませんが、罪人を憎むのではなく、罪の現実に心を痛めておられるのです。 そして、その罪ある現実から人を救い、良いものへと導こうとされています。<br /> <br /> <br /> <br /> この「もう滅ぼしてしまおうか」という思いから「いや、救い導こう」という思いへの距離を縮めるのが「贖い」なのです。神様ご自身の内側で、痛ましい罪の現実を前に、怒って滅ぼすのではなく、確かな身業の中に良きものを回復しようと心を贖めて移っていくのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 贖いの儀式<br /> <br /> <br /> <br /> 贖いの日の儀式は、神様が私たちのためにしてくださっていることを私たちが理解し、それにふさわしく歩むためのものです。儀式の中心となるのは2頭のヤギです:<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> * 一頭目のヤギは神の前に捧げられ、その血が贖いの蓋に塗られます。これは「私たちの命は全てあなたのものです」という礼拝の表現です。<br /> <br /> <br /> <br /> * 二頭目のヤギ(アザゼルのヤギ)は、祭司が手を置いて民の罪を告白し、その罪を背負わせて荒野に放ちます。これは「私たちの罪はもう私たちのうちにとどまらない」ことを象徴しています。<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> この儀式を通じて、私たちは神の前に「私の全てはあなたのものです」と捧げ、「私にはふさわしくないものがあります」と告白し、「あなたがそれを清め、取り去ってくださる」ことを確認するのです。<br /> <br /> <br /> <br /> イエス・キリストによる完全な贖い<br /> <br /> <br /> <br /> レビ記に記された贖いの日の儀式は、年に一度の特別な出来事でした。しかし、神の救いの計画はそこで終わりませんでした。イエス・キリストは私たちのために神の前に贖いの備えとなられました。<br /> <br /> <br /> <br /> イエス・キリストにおいて、私たちは神のものとされ、私たちのふさわしくないもの全てを知りながらも、それを取り除いて許し、私たちを清め整え導いてくださるのです。 そして、イエス・キリストは今や私たちの心のうちに住み、私たちと共に歩んでくださいます。<br /> <br /> <br /> <br /> これは年に一度の馴染みのない儀式ではなく、毎日の生活に密着した形で体験できる救いです。私たちはイエス・キリストにあって、日々神のものとされ、ふさわしくないものをふさわしいものへと作り替えられていくのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 神が私たちの罪に心を痛められ、ご自身の元に迎え入れ、導いてくださるという素晴らしい愛に招かれている喜び—それは平たく言えば「愛されている喜びを知る」ということなのです。イエス・キリストによってこの喜びを知り、その中に私たちの歩みが置かれているのです。<br /> <br /> <br /> <br />
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